中国“戦狼”報道官「更迭」の真相 衝撃の“ペンキ塗り”写真から透けて見える習近平の企み

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境界標の管理者

 外交の表舞台から消えた趙氏に再び注目が集まったのは今年3月上旬。趙氏とされる人物が“辺境で石にペンキを塗っている”写真が中国のSNSや一部メディアで紹介されたのだ。

 問題の写真は、ベトナムと国境を接する広西省で国境を画す「境界標」に彫られた〈中国〉の文字をみずから赤く塗り染める趙氏の姿と伝えられる。

「他にも、趙氏が〈大清國欽州界〉と彫られた石碑の横で直立している写真も拡散されています。同石碑は1885年、当時の清政府とフランスが締結した天津条約によって定められた両国境界線を示すもの。紺色の作業着のようなものを着て、国境付近で現場仕事に従事する趙氏の姿に“落ちぶれたエリート”や“一寸先は闇の無常の世を体現”などといった感想が寄せられています」(前出・外信部記者)

 前出の富坂氏が続ける。

「中国国内では“趙氏はもう報道局に戻ることはない”と言われており、外務省の中枢からは完全に外れたと見られています。選りすぐりのエリートが集まる報道局からの“都落ち”であるのは否定できず、趙氏の心中はさぞ複雑でしょう。仮に妻の投稿が原因だとしても、今回の人事が“一罰百戒”を狙ったものである点は間違いない。実際、“明日は我が身”と襟を正す官僚も多いとされ、趙氏には酷ですが、習氏にとっては綱紀粛正の材料の一つに過ぎなかったともいえます」

 かの国の歴史を振り返れば、僻地に飛ばされた程度で済んだことを喜ぶべきか。

デイリー新潮編集部

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