生誕100年・池波正太郎の小説はなぜ今も実写化が続く? 12歳から株屋で勤務、軍隊も経験…培われた人間観とは

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第1話のあらすじは

 第1話「女武芸者」ではその小兵衛が大治郎のために建ててやった、浅草の外れ、真崎稲荷に近い道場に、旗本・永井和泉守の用人が、身分姓名を偽って奇妙な依頼をしにやってくる。その依頼は、金50両と引き換えにある人物の両腕を折ってほしいという物騒なもの。大治郎は即座にこれを断るが、小兵衛が、かつて自分の門人であった御用聞き・四谷の弥七と共に探りを入れると、いま永井家には息子・右京に縁談が持ち上がっており、その相手が老中である田沼意次の妾腹の娘・佐々木三冬であるという。

 三冬は田沼が侍女おひろに生ませた娘で、おひろが病没した後は田沼家の家来・佐々木又右衛門の養女として育ち、7歳の頃から、一刀流の達人である井関忠八郎のもとで剣を学んだ女武芸者である。後に三冬は、“井関道場の四天王”と言われるまでに成長し、今では根岸にある母の実家、和泉屋吉右衛門の寮で老僕の嘉助と共に暮らしている。

 この三冬、「自分を妻に迎えるべき人が自分より、/『強いお人でなくては、いや』」という考えの持ち主。三冬を通じて田沼と縁を結びたいと考えた者は、まず、彼女との試合に勝たなくてはならない。しかしながら、永井右京は剣の腕はからっきし。そこで用人と相談し、大治郎に先の依頼をしたわけだが、断られ、かわりに無頼浪人を雇って、三冬を襲わせようとする。第1話はこれを小兵衛が阻止するという物語である。

人間不変の姿

 作品は、剣客として多くの修羅場を潜り抜け、人間的にもかなり老獪な面を持つ、名前の通り小男で、かつ、好色でもある秋山小兵衛と、とにかく生一本で真面目な大治郎という対照的な親子が、江戸のさまざまな事件に関わり見事に解決していく設定である。三冬は、はじめ、自分を助けてくれた小兵衛にひそかな思慕を寄せるが、これが次第に大治郎にスライドしていき二人はめでたく祝言をあげることになる。

『剣客商売』は、宮本武蔵のようないわゆる求道者的な剣客像ではなく、剣もしょせんはたずきの道=商売としたところがユニークで、第1話の冒頭では大治郎の道場に根深汁(ねぶかじる・ねぎのみそ汁)の匂いがたち込める描写がある。池波作品を読みながらその食事の場面に舌つづみを打った人は多いだろうが、その作品は人間不変の姿を映し出す、庶民的感覚に裏打ちされているといえよう。

 そこから生まれる生活のリズム、すなわちあらゆる歴史の中で、人間生活の基本となる衣・食・住が池波作品の根幹であり、「物を食べる、眠る、男と女の営みをする」(『男の系譜』)――煎じつめればそれだけでしかない人間というものが、人生の究極、すなわち、死に向かってどれだけ己れ自身を充実させることができるのか。作品の行間から立ち昇ってくるのは、まさしくそんな素朴な問いかけに他ならない。

 そしてこうした有名無名の差はあっても、生理面から見れば、等しく同じ存在である人間一人がつくり出す生活のリズム、すなわち、日常でのふるまいの一つ一つが、更に大きな生理=世の中の約束ごとをかたちづくっていく。

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