35年前には1000店舗もあったコンビニ「サンチェーン」 元店長が語る“キャバレー発”ゆえの戦略

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♪明るいね、暖かいね……のCMソングをご記憶の方も多いはず。いまはなきコンビニ「サンチェーン」である。35年前には1,000店舗にまで展開するも、その後、ローソンと合併し、現在までにブランドは消滅。その思い出を、かつて店長を務めていたマーケティングアナリストの渡辺広明氏が綴った。

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 Facebookに「昭和ノスタルジー」という、昭和のCM動画や風景写真などをシェアし旧き良き時代を懐かしむ趣旨のグループがあります。現在55歳のわたしもときおり覗いて楽しませてもらっているのですが、先日、コンビニの「サンチェーン」について投稿された方がいらっしゃいました。

 その投稿は多くの「いいね!」を集め、コメント欄もとても盛りあがっていました。昭和世代にはグッとくる存在なのでしょう。買い物はしたことがなくても、当時「夕やけニャンニャン」の放送時によく流れていたCMソング「明るいね、暖かいね、サンチェーン」でその存在を知っていた人もいることでしょう。ひょっとすると需要があるかと思い、またわたし自身の備忘録のついでに、かつて店長をつとめていた「サンチェーン」について書いてみたいと思います。

都市部出店と深夜営業

 1976年創業のサンチェーンの最大の特長はなんといっても「シティ・コンビニエンス」を標榜し、大都市の街中に積極的に出店していたことにあります。

 今でこそ街中にコンビニがあるのは当たり前ですが、当時は家賃が高い都市部へのコンビニ出店は控えられがちでした。サンチェーンはそこを突き、さらに1977年とかなり早い段階から18店舗で24時間営業も行いました。その2年前の1975年にはセブン-イレブンが福島の店舗で日本初の24時間営業を行っていましたが、こちらはあくまで実験的なもの。サンチェーンはかなり先取りしていたといえるでしょう。

 都市部への出店と深夜営業は、サンチェーンを運営する「TVBサンチェーン」のルーツが「キャバレーハワイ」などの運営会社だったゆえの発想だったと思います。キャバレーもまた「街」と「夜」のビジネスですからね。キャバレーが下火になっていくのを見越し、コンビニ事業に進出していったようです。

 そして1980年より、サンチェーンはローソンジャパン株式会社(当時)と業務提携を行います。日本のローソンがダイエー傘下ではじまったのが1975年であることを考えると、かなり早い段階からの提携ですね。今日のローソンには間違いなくサンチェーンのDNAがあるわけです。

 道頓堀やススキノや中洲といった繁華街を歩いていると、いい立地にはやけにローソンがあるな、と思われる方もいるかもしれません。その店舗の前身は“シティ・コンビニエンス”のサンチェーンだったと推察されます。

 サンチェーンとローソンは89年に合併し「株式会社ダイエーコンビニエンスシステム」という組織になりました。わたしは新卒としてこの会社の1期生に就職したのです。

 ローソン側はフランチャイズ運営会社と直営運営会社とがあり、ローソンは直営とフランチャイズあわせておよそ2,000店舗の規模。対してほぼ直営だったサンチェーンは88年に1,000店舗を達成していました。店舗数の差は大きいですが、サンチェーンの代表だった鈴木貞夫氏は合併後のダイエーコンビニエンスシステムズの副社長に就き、その後はローソンの相談役をされていましたから、一方的な買収というわけでもなかった。力関係が対等なぶん、拮抗してしまうのでしょうね。合併企業にはありがちですが、当時、社内には「ローソン閥」と「サンチェーン閥」のようなものがあり、仲はあまり良くありませんでしたね(笑)。

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