プロ野球に「大物大リーガー」が来なくなった理由 過去に加入した一流選手たちの思い出(中川淳一郎)

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 世界における日本の経済的強さを測ることができるのは、プロ野球チームに加入する外国人選手のレベルです。1980年代から90年代にかけてよくあったじゃないですか、スポーツ新聞で「現役バリバリの大リーガーがやってきた」みたいな表記が。83年と84年シーズン、「大リーグ通算314発男」のレジー・スミスが巨人に入りました。

 彼は83年には38歳とキャリアの晩期に入っていましたが、日本でも102試合で28本塁打を打つ活躍を見せました。他にも「MLBドラフトで全体1位指名」のボブ・ホーナーや「大リーグ235発男」かつ、80年に41本塁打を放ち本塁打王になったベン・オグリビーなど、一線級の選手がこぞって来日。それだけ日本にお金がたくさんあったのでしょう。

 それが最近は「3Aで35発男」や「メキシカンリーグで3割」みたいな選手を安く複数獲得し、「この中の一人でも儲けもんがいればいいわ」みたいな話になっている。もちろん、最近でも2013年、MLBで434本塁打のアンドリュー・ジョーンズが楽天入りするなどありましたが、過去と比べると「大物」は少ないでしょう。

 私は87年から92年までアメリカに住んでいましたが、その頃MLBの試合でレギュラーを張っていた選手が日本に次々とやってきたのには感動しました。その筆頭がフリオ・フランコです。91年に打率.341で首位打者に輝き、ロッテに95年と98年に在籍。その後メジャーに戻りましたが、49歳までプレーし続けるという鉄人ぶりを見せました。

 あと、地味ではありますが、91年のワールドシリーズで優勝したミネソタ・ツインズの主力だったダン・グラッデンとシェーン・マックが巨人に入ったのにも大仰天! グラッデンは、ツインズの1番打者として堅実なプレーを見せ、キャリア最終年の巨人では98試合で.267、15本塁打と及第点の活躍を見せました。マックはツインズが優勝した前年に.326を達成。グラッデンが退団した翌年から始まった巨人での2年間は20本塁打、22本塁打とこれまたナイスな活躍。

 しかしながら、我が阪神タイガースはロクなもんじゃない。もちろんランディ・バース、セシル・フィルダー、マット・マートンといった名選手はいたものの、毎度「バースの再来や!」と言われた選手が期待外れに終わる。

 そして、私がアメリカ時代に見ていたロブ・ディアー、マイク・グリーンウェル……コレがすごい! ディアーはとにかく「本塁打か三振か」みたいな選手で、打率1割台は当たり前。メジャーで三振王に4回輝き、最高本塁打数は33本。阪神のフロントは「日本の狭い球場なら当たりゃ本塁打になるだろうw」みたいな気持ちで獲得したのかもしれませんが、阪神ではまさかの.151、8本塁打。

 それから忘れてはいけないのがグリーンウェルですよ。「神のお告げ」と突然言い出して7試合出場しただけでアメリカに帰ってしまった。88年には.325、22本塁打、119打点を叩き出し「ミスター・レッドソックス」と呼ばれたほどの偉大な選手。しかし、日本では7試合で本塁打0。なんじゃこりゃ。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2023年1月26日号掲載

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