慶応高の「清原ジュニア」以前にもいた…センバツに出場した“2世選手”

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父に代わって息子が活躍

 一方で、父は甲子園に出場できなかったが、代わって息子がセンバツで活躍した例も少なくない。主砲としてチームのセンバツVに貢献したのが、元中日・堂上照の次男・直倫(現・中日)である。愛工大名電高時代の05年、2年生で4番を任せられた直倫は、打球の速さが高校生離れしていた。

 準々決勝の天理高戦では、7回に外角高めの球を強引に振り抜き、バックスクリーンへ試合を決める中越えソロを放つなど、決勝までの全5試合で安打を記録。決勝の神村学園戦でも初回に野上亮磨(元・西武、巨人)の変化球をすくい上げ、左越えに大会2号ソロを放つなど、2打点を挙げ、通算16打数8安打4打点で同校に悲願の初Vをもたらした。

 3年生エース・斉賀洋平とともにお立ち台に上がった直倫は「(優勝は)目標でした。夢でした。それが叶ってうれしい」と笑顔でインタビューに答えている。
 
 兄・剛裕も愛工大名電高2年時の02年センバツに3番サードで出場したが、1回戦の新湊高戦では4打数無安打に終わり、1対2で敗れた。ちなみに兄は03年春夏(春は6打数1安打)、弟は05年、06年夏にも出場しており、兄弟揃って春夏の甲子園出場の快挙を実現している。

「自分もあの場に立ちたい」

 センバツVをあと1歩で逃したが、全試合に先発し、準優勝投手になったのが、巨人、日本ハムの捕手だった山崎章弘の次男・福也(現・オリックス)である。

 中学3年の冬に小児脳腫瘍が見つかり、「手術しなければ、7~8年」と宣告された福也は、死との恐怖と闘っていた08年春に、2歳年上の兄・福之が聖望学園のメンバーとしてセンバツで入場行進をする姿を見て、「自分もあの場に立ちたい」と決意した。

 そして、6時間に及ぶ手術の末、医師から「また野球ができるよ」と告げられると、日大三高に入学し、夢に向かって邁進した。それから2年後の2010年春、福也は同校のエースとして憧れの甲子園のマウンドを踏んだ。

 1回戦の山形中央高戦では4失点ながら10奪三振。2回戦の向陽高戦は6安打8奪三振の1失点、準々決勝では敦賀気比高を3安打8奪三振完封と1戦ごとに調子を上げていく。

 雨中の熱戦となった準決勝の広陵高戦では、4回2失点で降板し、一塁に回ったが、5番打者として4打数4安打2打点の大当たり。味方打線も1点を追う8回に一挙10得点の猛攻で有原航平(現・ソフトバンク)をKOし、鮮やかな逆転勝ちで決勝進出を決めた。

 決勝の興南高戦は、前半は点の取り合い、6回以降は福也と島袋洋奨(元ソフトバンク)の投手戦になった。

 5対5で迎えた延長12回に、試合は大きく動く。福也は自らのエラーと暴投で1死二塁のピンチを招いたところで無念の降板。直後、連続四球と三ゴロの本塁悪送球で勝ち越しを許し、大量5点を失った。

 166球の熱投も実らず、惜しくも頂点に立つことはできなかったが、15歳のときに人生最大の苦難を乗り越えた左腕は「野球がやれるだけで幸せ。いろいろな人に感謝の気持ちを込められました」と達成感に満ちた表情だった。

 このほか、01年出場の智弁学園の背番号13の2年生・吹石知勇は、元近鉄・徳一の長男で、女優、タレントの吹石一恵の弟。04年出場の福工大城東の4番打者兼リリーフの定岡卓摩(元ソフトバンクなど)は元南海・智秋の次男。05年出場の東海大相模の3番打者・角一晃は、巨人、日本ハム、ヤクルトの投手だった盈男の長男といった具合に、センバツに出場した「2世選手」は意外に多い。

 冒頭で触れた「清原ジュニア」が初めての甲子園でどんなプレーを見せるか注目したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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