サヨナラホームランで監督が「ワシをおぶっていけ!」 昭和のプロ野球で本当にあった“嘘みたいな話”3選

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2人揃って本塁に

 2人の走者がほぼ同時に本塁に突入する珍事が起きたのが、1969年6月10日のアトムズ対中日だ。同年のアトムズは、ヤクルトとフジサンケイグループの共同経営だったため、球団名を名乗らず、ニックネームのみを使用していた。

 1回表、アトムズは1死一、二塁のチャンスで、4番・ロバーツが中越えに二塁打を放った。

 だが、二塁走者・大塚徹は打球の行方を確認していたため、スタートが遅れてしまう。一方、「(打球)が抜ける」と判断した一塁走者・武上四郎は、すでに見切り発車していたことから、大塚の背中にくっつくようにして走りながら、そのまま2人揃って本塁に突っ込んだ。

 まさかの2走者突入にも、中日の捕手・木俣達彦は慌てず騒がず前の走者・大塚をタッチアウトにしたが、大塚へのタッチプレーの間に後ろの走者・武上が間一髪生還し、先制点を挙げた。

 一歩間違えば“数珠つなぎ”で2人ともアウトになっていたかもしれないし、大塚が遅れることがなく、本塁に突入していれば、今度は前の走者がセーフで後ろの走者がアウトになっていたかもしれないという微妙なプレー。

 いずれにしても、ちぐはぐ感は免れず、この日のヤクルトは、せっかく先制したにもかかわらず、終わってみれば、3対6の逆転負け。中途半端なチーム名を象徴するような幕切れとなった。

“青い稲妻”

 代走で出場した選手が同一イニングの打者一巡後、満塁ホームランを放つという史上初の珍事が起きたのが、1977年6月13日の大洋対巨人である。

 4対5とリードされた巨人は、9回表1死から代打・淡口憲治が一、二塁間に鋭い打球を放った。ファースト・松原誠が横っ飛びで追いついたまでは良かったが、直後、一塁に大悪投し、1死二塁となった。

 勝負どころとみた巨人・長嶋茂雄監督は、代走にルーキーの松本匡史を起用した。後に“青い稲妻”の異名をとった足のスペシャリストは、次打者・柴田勲の遊ゴロの間に三塁を狙い、その動きに惑わされた遊撃手のエラーを誘発すると、ボールが外野に抜ける間に自慢の俊足を飛ばして、同点のホームを踏んだ。

 これで勢いづいた巨人は、土井正三の三塁強襲安打で6対5と逆転に成功。張本勲も右前安打で続き、斉藤明雄をKOした。なおも、リリーフ陣の四球連発や相手守備陣の乱れに乗じて、9対5とリードを広げる。

 そして、2死満塁で打順が一巡し、代走出場の松本に打順が回ってきた。打ち気満々の松本は、6番手・高橋重行の代わりばなを左越えにダメ押しの満塁ホームラン。

 ダイヤモンド1周後、ナインの手荒い祝福に迎えられたヒーローは「気分爽快ですね。満塁の打席に入ったのは初めてだったので燃えた。打ったのは高めストレート。まさか満塁ホーマーが打てるなんて」と大喜びだった。

 なお、この試合は、6回途中から堀内恒夫をリリーフした高卒3年目の西本聖が、2回2/3を無失点に抑え、うれしいプロ初勝利を挙げている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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