森保ジャパン 次の「10番」はモロッコ代表にヒント 注目は3つの国籍を持つ17歳と18歳の2選手

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 昨年12月20日、カタールのドーハからブエノスアイレスのエセイサ国際空港に帰国したアルゼンチン代表は、深夜にもかかわらず多くのファン・サポーターの熱烈な出迎えを受けた。

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 アルゼンチン国民の熱狂は時間を改めて行われた凱旋パレードでも衰えを知らず、推定500万人以上がリオネル・メッシら選手を一目見ようと沿道に詰めかけた。

 ディエゴ・マラドーナが凱旋パレードをしてから36年。W杯で複数回優勝した国が、最後に優勝してから何年後に優勝したかというと、アルゼンチンの36年が実は最長記録である。

 ブラジルが8年(94~02年)、フランスが20年(98~18年)、西ドイツ時代を含むドイツとイタリアが24年である(それぞれ90~14年、82~06年)。36年も経てば、前回の優勝を知らない世代が多くても不思議ではない。

 だからこそ「世界一」の称号に狂喜乱舞したくなる気持ちは十分にわかるし、12月20日が“休日”になったのも当然かもしれない。

 翻って日本である。マラドーナが“戴冠”した86年メキシコW杯は、初めて日本がW杯を身近に感じた大会でもあった。アジア1次予選で北朝鮮を、2次予選で中国を倒した香港を下し、初めて最終予選に進出した(当時は極東・東南アジアと中東で分けて予選を実施)。

 しかし日本は、ライバルの韓国にホームで1-2、アウェーで0-1と敗れ、メキシコの地を踏むことはできなかった。その後、90年イタリアW杯はアジア1次予選で早々と敗退。94年アメリカW杯こそ最終予選に勝ち上がったが、「ドーハの悲劇」で初出場は幻と消えた。

ベスト8の壁

 転機となったのは93年にスタートしたJリーグだった。プロ化を導入したことで選手を取り巻く環境が大きく変わり、それが選手のレベルアップを促した。98年フランスW杯は第3代表決定戦とはいえイランをVゴールで下し、悲願の初出場を果たした。

 以来、自国開催となった02年日韓W杯を含めて7大会連続7度の出場を続け、ベスト16には02年、10年、18年、22年と4度の進出を果たした。2大会連続してのベスト16進出は、アジア勢初の快挙でもある。

 日本はもうアジア予選を突破してW杯に出場するのは「当たり前」と、ファン・サポーターはもちろん国民のほとんども思っている。

 ここ2大会ほど最終予選では中東勢のカウンターに敗れて苦戦を余儀なくされたものの、終わってみれば順当に本大会への出場権を獲得。このためアジア最終予選であっても盛り上がりに欠けるという、贅沢な弊害すら出ている。

 とはいえ、森保一監督とJFA(日本サッカー協会)が目標に掲げた「ベスト8進出」は、グループリーグでドイツとスペインを倒しながらも達成できなかった。ラウンド16のクロアチア戦は、10年南アW杯に続いてPK戦で涙を飲んだ。

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