小椋佳が最愛の妻と別居し“週末婚”を選んだ理由 タバコは1日2箱、毎日コーラを飲む「不健康人生観」

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ずっと「ないもの探し」を続けていた

 それから、母校である東京大学の法学部に編入しました。若い頃に思い悩んだ生きる意味とは何かという問いに改めて向き合おうとしたのです。

 50歳になって大学に戻ってみると、これがもう面白くって仕方がない。朝から夕方まで授業を入れて、放課後は図書館にこもり、閉館まで勉強する学業三昧の日々を送りました。そうすると、2年かけてみっちり勉強するはずが、1年で単位満了になって追い出されてしまったのです。

 あっという間に卒業してしまったため、不完全燃焼の感が募りました。そこでフランス語を改めて独学し、東大の文学部の学士に再入学。そのまま修士まで進みました。

 大学で突き詰めてみてわかったのは、絶対的な正義も、価値の公準も、実は存在しない。つまり、私はずっと「ないもの探し」をしていたんです。答えなんて用意されていなかった。生きる意味も、人生における価値も、最初から与えられているものじゃなかった。自らの人生を通じて見出していくほかないのです。

なぜ週末婚に?

 50代にしてようやくそのことに気付いた“晩熟”な私の人生で、タバコよりも、コカ・コーラよりも、長く傍にいるのが家内です。なんたって出会いは、幼稚園児の頃にまで遡りますから。小椋佳の「佳」の字は、家内の名前から取ったもの。今でも変わらない最愛のひとです。

 ただ、57歳で胃ガンを患い、胃の4分の3を切除する手術を受けた時、思い立って長年連れ添った家内との別居を決意しました。

「何でこの年になって捨てられないといけないの」

 そう泣く彼女に対して「別に捨てるわけじゃない」と声を掛けたものの、随分とショックを受けたようでした。

 家内には申し訳ないことをしたと思っているのですが、還暦も迫るなか、私はどうしても「ひとり暮らし」というものを味わってみたかった。幼い頃から、衣食住という生活の基本的な部分に興味を持たず生きてきました。首から上ばかりが先走って、地に足が着いていなかったのです。

 しかし、ガンで死の淵をさまよったことで、“このまま人生を終えていいのだろうか”という疑問がフッと去来した。しばらく自分一人で生きてみよう、頭でっかちをやめて、文字通り“生活”に没頭してみようと思ったのです。

 例えば土いじり。2年ほど前には自宅の屋上に、三つプランターを設けて家庭菜園を始めました。タマネギ、ジャガイモ、ナス、キュウリなどを植えて育てています。これがまた大変。思ったように芽が出てこない。でも、うまく育ってくれると、実に愛おしく思えるのです。

 家内とは週末の2日間だけ一緒に過ごすことにしました。いわば“週末婚”です。これはぜひ皆さんにもお勧めしたいですね。少し離れて暮らしてみるだけで、ありがたみがよくわかります。新鮮な気持ちになって、互いに思いやって暮らすことができますよ。

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