「藤子不二雄Aさん」、最初の弟子が明かす盟友「Fさん」との好対照【2022年墓碑銘】

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 満ちては引く潮のように、新型コロナウイルスが流行の波を繰り返した2022年。今年も数多くの著名な役者、経営者、アーティストたちがこの世を去った。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の歓喜の瞬間はもちろん、困難に見舞われた時期まで余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた人生を改めて振り返ることで、故人をしのびたい。

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 極上の寒ブリで有名な富山県氷見は、漫画家の藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんの故郷だ。近年、架け替えられた橋の四隅の柱には、安孫子さんが生み出した怪物くん、忍者ハットリくん、プロゴルファー猿、笑ゥせぇるすまんの像が立ち、親しまれている。

 1934年生まれ。父親は古刹、光禅寺の住職。小学校で藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さんと出会って漫画の合作を始め、高校在学中の51年に「天使の玉ちゃん」でデビューする。

 漫画家を志して54年に上京。尊敬する手塚治虫さんから自分が暮らしていたトキワ荘の部屋を勧められ、引き継ぐように入居。手塚さんは敷金まで負担してくれた。こうしてトキワ荘で寺田ヒロオ、赤塚不二夫、石ノ森(当時は石森)章太郎らと切磋琢磨した。

 当時の様子を安孫子さんは本誌(「週刊新潮」)にこう語っていた。

〈寝ようと思ってトイレに行くと、他の部屋は明かりがついているから、またやる気になったり。他の人が先に売れても嫉妬を感じるどころか、こっちも頑張ろうと思ったり。本当の同志の集まりでした〉

 小学館の「週刊少年サンデー」で、64年に連載が始まった「オバケのQ太郎」が大ヒット。しかし、合作はこれが最後に。藤子不二雄という共同のペンネームを使い続けながら、別々に作品を発表するようになる。

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