巨人、オコエ瑠偉を獲得した思惑 丸佳浩はライトに配置転換でいいのか【柴田勲のセブンアイズ】

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化けてくれれば儲けもの

 それはさておき、巨人にすればオコエの身体能力の高さを評価したのだろう。50メートル5秒9の俊足に加えて遠投120メートルの強肩だ。打撃は粗削りだがパワーはある。

 関東一高時代に夏の甲子園でチーム4強入りに大きく貢献した。15年のドラフト1位で楽天入りした。プロ6年間の成績は打率.219、9本塁打、44打点、20盗塁。今季はわずか6試合の出場にとどまった。

 だが、前述したようにその潜在能力は魅力的だ。ブリンソンにしても萩尾、それに増田にしても本当の力は未知数だ。特に外国人選手だけは来てみないと分からない。

 楽天は環境が変わればオコエも変わるかもしれないと判断し、また巨人は、まだ若いし良いところを買って、化けてくれれば儲けものと期待しているのだろう。

 オコエもまた、出場機会に恵まれない選手の救済措置の目的を持つ現役ドラフトでの巨人移籍を生かし、頑張ってもらいたい。

 左翼には残留したアダム・ウォーカー、長野久義、秋広優人、右翼は原構想通りなら丸、松原聖弥、それに梶谷隆幸が絡んでくることができるか。

 いずれにせよ、2023年の巨人外野陣のレギュラー争いは中堅をはじめとして競争が激しくなるに違いない。

偉大なOB・藤尾茂さん

 巨人の捕手として1950~60年代に活躍した藤尾茂さんが亡くなられた。88歳だった。56年から正捕手で4年連続ベストナイン&球宴選出、パ・リーグの南海・野村克也さんと並ぶ当時の日本プロ野球の代表的な捕手だった。

 私は62年から4年間ご一緒させていただいた。ちょうど自慢の打撃の調子が下り始めた頃だった。60年以降は森(当時・昌彦)さんが台頭していた。

 藤尾さんの奥さんの弟さんが法政二高時代の先輩だった。私の巨人入団が決まると、弟さんから「あいさつに行った方がいいよ」と言われて、2度ほどご自宅にお邪魔した。当時のことを懐かしく思い出した。

 また巨人の偉大なOBが鬼籍に入られた。心からご冥福をお祈りいたします。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部

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