優勝したのに“クビ”に…わずか1年で解任された「悲運の監督列伝」
「バレンタイン ヤメナイデ」の垂れ幕
9年連続Bクラスのチームを2位に躍進させたのに、契約を1年残して解任されたのが、95年のロッテ、ボビー・バレンタイン監督である。同年のロッテは、広岡達朗氏がNPB史上初のGMに就任。親交のあるバレンタイン監督を迎え、これまた「史上初の大リーグ監督経験者の監督就任」と話題になった。
バレンタイン監督の明るいキャラクターとユーモラスなパフォーマンスは、多くのファンの心をとらえ、積極果敢な“ボビー野球”が浸透したチームも6月末以降、上昇気流に乗った。
だが、その後、作戦面や移動日明けに練習を行うかどうかなどで、広岡GMと意見が対立。バレンタイン監督が「コミュニケーション不足」を訴えると、広岡GMは「コミュニケーションは十分取っている」とどこまでいっても平行線だった。
そんな確執が続くなか、一度は球団側が「留任希望」を表明しながら、9月21日に一転、監督解任が報じられる。直後、本拠地・千葉で行われた日本ハム戦では、右翼席に「バレンタイン ヤメナイデ」の垂れ幕が掲げられ、多数のファンが試合終了後も“ボビーコール”を続けた。留任を嘆願する署名も、正式に解任が発表された10月17日までに1万3000人に達した。
同日、重光昭夫オーナー代行は、1年目に2位という実績を評価しながらも、「広岡GMと野球に対する考え、哲学の違いがあり、来年の優勝、長期的に強いチームづくりに支障があると判断した」と説明した。
だが、翌96年、江尻亮監督を迎えたチームは5位に沈み、広岡GMともども解任。球界初のGM体制はわずか2年で終わりを告げた。
一方、「いつの日か私は日本に戻ってきて、この仕事を完結させたいと思っている。ロッテでそれを実現させることが第1希望だ」と誓ったバレンタイン監督は、04年にロッテ復帰をはたし、翌05年に日本一を達成した。
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