竜王戦第5局で負けても笑顔の藤井聡太五冠 ご当地“ジンジャーエール”にも苦戦?

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

藤井が見せた笑顔

 広瀬は最後には龍と馬の2枚だけで藤井の玉を仕留め、藤井の駒台には広瀬から奪った金や銀が空しく並んでいた。終局までABEMAで解説していた佐々木慎七段(42)は、「名局だったと思います」と感嘆していた。

 大盤解説場から対局場に戻った両雄は、時には笑いながら感想戦をしていた。子どもの頃は負けると将棋盤に噛り付いて泣いたという藤井。内心は悔しいに違いないが、今回は朗らかな笑みも見せながら駒を並べ直していた。充実の一局にやりがいのある感想戦だったのだろう。逆に、激戦を制して「カド番」を凌いだ広瀬のほっとした表情からは、少し疲れた様子も見てとれた。

 藤井はいつも、それが勝った時でも、「苦しい将棋でした。反省点が多いので課題にしたい」と語ってきたが、謙虚さから言っているだけではないだろう。「たまたま勝っただけで、まったく内容が悪い将棋だった」と本当に思っているのだ。だから、勝利にも全く笑みを見せないことが多い。逆に、今回のように敗れても充実感があると、笑みを見せるのかもしれない。あくまでも想像だが。

開けられなかった瓶の栓

 さて、今回の大熱戦では、ちょっとしたユニークな出来事があった。

 勝負がヤマ場に差し掛かっていた2日目午後3時の「おやつタイム」で藤井は、菓子類やフルーツなどは注文せず、飲み物だけを2品注文した。このうちのひとつは、飲み口を栓抜きで開ける昔ながらのガラス瓶だった。一見、日本酒の二合瓶のようにも見える。

 瓶とコップと栓抜きが盆に乗せられて出されたところ、藤井はえらく、栓を開けるのに苦労している。ABEMAの動画からは必死に力を入れているようには見えないから、栓の締めが異常に硬かったというわけでもなさそうだ。また、栓を持ち上げる栓抜きの「刃」の部分がすり減っていて滑る、というのとも違うようだ。

 栓抜きを持つ藤井の手つきを動画で見ていると、その使い方がわかっていないように見えた。しばらく格闘していたが最後は諦めて、若い記録係に瓶と栓抜きを渡して開けてもらっていた。

 ひょっとすると20歳になったばかりの藤井は、生まれてこのかた、瓶ビールなどの栓を栓抜きで抜いた経験がなかったのかもしれない。昔はジュースなども瓶だったので栓抜きで開けたものだが、今はほとんどがペットボトルか缶なので栓抜きは不要だ。どんなにたやすい日常生活の行為も、全く経験がなければ苦労するということを目の当たりにした。

 ちなみにこの時、藤井が開けられなかった飲み物は、ご当地の「宮地嶽神社エール」というジンジャーエールだった。まさか、この日、大盤解説をしていた「ダジャレ棋士」で知られる豊川孝弘七段(55)が命名したのではないのだろうが。

「おやつタイム」は、それまで優勢だった藤井に対して広瀬が持ち直し、形勢が五分(ABEMAのAI評価値によればだが)になっていた頃のことだ。その後、広瀬が次第に優勢になり、藤井はとうとう逆転負けを喫してしまったのである。

 年明けから藤井がタイトル防衛に臨む第72期ALSOK杯王将戦(毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催)七番勝負では、「永世七冠」のレジェンド・羽生善治九段(52)の挑戦を受けることが先ごろ決まった。羽生はAIを駆使した若手たちの戦法にも遅れずに追随している上、昔の棋士たちのアナログ戦法については「年の功」で藤井より知り尽くしていることだろう。

 両者が初めてタイトル戦で雌雄を決する「夢の対決」で、藤井が羽生のまさかの「アナログ戦法」にやられないか――。「栓抜き事件」は、そんな要らぬ想像までしてしまうほほえましい光景だった。
(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。