トレードで野球人生が“暗転”…セ・リーグでは全く活躍できなかった3人の名選手

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“最後の阪急戦士”

 今季26年ぶりの日本一を達成したオリックス・中嶋聡監督も、現役時代はパ・リーグ3球団で活躍する一方、セ・リーグでは苦い思いを味わった一人である。

 球界きっての強肩を売りにオリックス初年度の1989年から長く正捕手を務めた中嶋は、西武にFA移籍した98年からは伊東勤のスーパーサブになり、99年にはルーキー・松坂大輔の専用捕手も務めた。

 そして、03年に2対2の交換トレードで3球団目の横浜へ。横浜は谷繁元信の中日移籍後、中村武志と相川亮二が正捕手の座を争っていたが、中嶋にとっても大きなチャンスだった。

 ライバルとの競争を制し、開幕スタメン捕手の座をかち取った中嶋だったが、間もなく復調した中村に正捕手を奪われると、故障も追い打ちをかけ、わずか19試合出場に終わる。めぐり合わせが悪かったとしか言いようがない。

 だが、翌04年、35歳で日本ハムに移籍すると、パ・リーグの水が合ったのか、当初は第3の捕手だったのに、05年にチームの捕手で最多の79試合に出場し、06年には球界では画期的な“抑え捕手”という役どころを得て、チームの日本一に貢献。07年からはバッテリーコーチを兼任し、その理論にダルビッシュ有も傾倒するなど、“最後の阪急戦士”として46歳まで現役を続けた。

 引退に際し、中嶋は激動の野球人生を「29年間、本当に長い間野球選手をしました。ひとつも悔いはありません。やり尽くしました」と振り返っている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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