あわや「セルフ戦力外」危機も…FA行使を巡る驚くべき“3つの珍事件”

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「FA宣言はしていませんよ」

 今年で30年目を迎えたプロ野球のFA制だが、過去には制度導入直後で、ルールがよく浸透していなかったり、FA権行使後の見込み違いなどを理由とする珍事も何度かあった。そんなFAがもたらした“想定外の人間ドラマ”を振り返ってみた(金額はいずれも推定)。【久保田龍雄/ライター】

 FA移籍引き留め料を加えた球団側のアップ提示に同意してサインしたはずなのに、FA残留したことに気がつかなかったのが、1994年オフの西武・渡辺久信である。

 同年、9勝8敗の成績でチームの5年連続リーグ優勝に貢献した渡辺は、11月5日の契約更改で1億2800万円から65%アップの年俸2億1000万円の提示に満足してサインした。

 実は、この金額は、“新年俸”1億6000万円に“引き留め料”の5000万円が加算されたものだったが、渡辺自身は記者会見で「FA宣言はしていませんよ」とコメントし、純粋な大幅年俸アップと思い込んでいたようだ。

 報道陣から「それはFAを行使したことになるんだよ」と指摘された渡辺は「知らなかった」とビックリ仰天したものの、「まあ、西武に残るつもりで、ここに来たし、球団の誠意も感じられたからいいです」と自らを納得させていた。

 FA残留の場合は、選手が球団に対して「向こう3年間トレードに出さない」「年俸ダウンはしない」等、付帯条件をつけて少しでも有利な契約に持っていけるよう交渉できるのだが、本人がFAしたことに気づかずにサインしてしまった以上、どうすることもできない。球団側から「細部については、今後話し合ってもいい」と“助け舟”が出されたのが、せめてもの幸いだった。

「野球評論家兼現役投手」

 FA権を行使してメジャー挑戦後、国内の前所属球団への補償金がネックとなり、日本球界に復帰できず、1年間“浪人”したのが、小宮山悟である。

 横浜移籍2年目の2001年、自己最多タイの12勝を挙げた小宮山はオフにFA宣言し、12月1日にロッテ時代の恩師、ボビー・バレンタインが監督を務めるメッツと契約した。

 だが、翌02年は、中継ぎで25試合に登板して0勝3敗、防御率5.61と結果を出せず、メッツと2年目の契約更新ができなかったばかりでなく、メジャー他球団からのオファーもなかった。

 そこで、古巣・横浜への復帰を望んだが、37歳になった小宮山は、若手中心の起用を考えていた山下大輔監督の構想外となり、断られてしまう。

 国内他球団も小宮山の実力を評価しながらも、翌03年11月30日までに契約すると、横浜に対して1億7500万円の補償金を支払わなければならないというFA上のルールが足かせとなり、獲得を見送った。この結果、“就職浪人”になった小宮山は、「野球評論家兼現役投手」という異色の肩書きで1年間を過ごす羽目になった。

 37歳から1年もブランクが生じるのは、野球選手として致命的とも言うべきハンデであり、自著「『まわり道』の効用~画期的『浪人のすすめ』」(講談社)によれば、小宮山自身も、翌年プレーできる可能性が低いことから、「現役引退をいつ発表しようか」と考えていたという。

 そんな矢先、メッツを解任されたバレンタイン監督が翌04年から再びロッテの指揮をとることが決まり、「力を貸してほしい」と要請してきた。まさに「奇跡に近い」現役復帰劇だった。

 5年ぶりにロッテに復帰した小宮山は、04年は先発で3勝を挙げ、05年には新魔球「シェイク」を武器にリリーフとしてチームの31年ぶり日本一に貢献。44歳の09年まで現役を続けている。

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