大迫勇也と原口元気はなぜW杯メンバーに選ばれなかったのか

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遅すぎた復調

 最終的な判断として指揮官は「(W杯の)経験者の経験は非常に大切ですけど、経験のない選手たちも『W杯で成功したい』という野心を持って戦ってくれると信じて選考しました」ということになる。

 その他の理由として、攻撃陣は海外組が主力を占めている。国内組は11月5日にJリーグが終わるのに比べ、海外組は13日までリーグ戦やカップ戦がある。合流直前まで負傷のリスクが高いだけに、保険をかける意味で森保監督は「最後のピース」に国内組のFW相馬を選択したのではないだろうか。

 大迫の場合は、今年3月からコンディション不良や負傷などで代表を辞退し、その後は長らく招集外だった。しかし9月後半から復調し、リーグ戦では5試合で3ゴールをマークするなど神戸のJ1残留に貢献した。

 森保監督もメンバー発表直前のJ1リーグ・川崎F対神戸戦を視察するなど、大迫の復調具合をチェックしていると思われた。神戸も代表発表の当日は、大迫が選出されることを想定して記者会見の場を設定していた。

 堅実なポストプレーと空中戦の強さなど、攻撃陣の“核”として外せない選手の復調を待っていたのは森保監督だけではないだろう。しかし結果からすると、復調は遅すぎたようだ。

切り札の不在

 森保監督にしても、どこかで大迫を「招集するか否か」の判断を下さなければならなかった。メンバー発表2日前のJリーグで活躍する姿を見て、複雑な心境だったのではないだろうか。

 そんな森保監督が決断したタイミングとしては9月のドイツ遠征が濃厚で、この遠征に間に合うかどうか、プレーが可能かどうかで決断を下したのではないだろうか。

 ドイツ遠征初戦のアメリカ戦では前田大然をスタメンで起用した。そして、試合開始から全速力によるプレスでアメリカDF陣を慌てさせた。ドイツやスペインといった格上相手に、まずは前線からの守備で攻撃をディレイさせ、あわよくばショートカウンターからゴールを狙うというのは当然の策である。

 松本山雅FCの監督時代に彼を指導した反町康治技術委員長は、「スピード系の選手は1回走ったら歩いたりして休むが、前田は連続してスプリントできる。それは持って生まれたもので、私はそれを生かしただけ」と話していた。

 前田で前線からの守備を引っ張りつつ、勝負どころで違うタイプのストライカーを投入してゴールを狙う――そのための切り札が大迫だと想定していたものだ。

 その大迫が不在となると、日本の攻撃には「次の一手」がない。

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