鉄道150年と音楽 天皇陛下も懐しむ「鉄道唱歌」から「あずさ2号」、存続危機の駅メロまで

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駅メロと駅ピアノ

 1993年からJR東海が開始した“そうだ京都、行こう”キャンペーンでは、CMソングにミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の楽曲「私のお気に入り」が使われた。曲調を変えながら毎年のように新CMが制作されたキャンペーンにより、いまや「私のお気に入り」は東海道新幹線と京都のイメージを定着させた曲になった。

 このように、鉄道と音楽の関係は歌だけにとどまらない 。メロディも密接な関係を築いている。平成期には、列車が入線してくる際にホームに並ぶ乗客に注意を促す目的で接近メロディが導入された。発車ベルの代替として用いられる発車メロディにも、ヒットソングのメロディが使用されるようになった。

 接近メロディと発車メロディは似て非なるものだが、これらは駅メロとして一括りにされて、各駅で独自のメロディが導入されていった。

 各駅で独自の駅メロが導入された背景には、地域色を打ち出すことで地域振興を狙ったからだ。その効果を狙い、鉄道会社や地元自治体は積極的に地域に根付く歌などを採用。駅メロは百花繚乱になった。

 駅メロのほかにも、車内の乗客に駅への到着を知らせる車内チャイムにヒット曲が使用される。東海道新幹線の車内チャイムでは、山口百恵が歌った「いい日旅立ち」がお馴染みになっている。

 鉄道と音楽が融合する過程で、エンタメ化する傾向も派生してきた。鉄道ファンでもあるミュージシャンの向谷実さんは、駅メロを多く手がける。クラシックと鉄道音楽を融合させた音楽デュオのスギテツは、三木鶏郎を彷彿とさせる冗談音楽で鉄道と音楽の関係性に広がりを持たせた。

 筆者はインタビューや番組出演などを通じて両者と何度か接したことがある。彼らの話を聞くにつけ、独創的なアイデアの持ち主だなぁと痛感させられた。

 そして、アーティストに限定されていた鉄道と音楽の融合は、時代とともに新たな局面へと移行しつつある。それを象徴するのが駅ピアノの存在だろう。

 路上に設置されたピアノを誰もが自由に弾くことができるストリートピアノは、数年前から認知されるようになった。その駅バージョンといえるのが、駅ピアノだ。

 地方都市はマイカーが普及し、鉄道利用者は決して多くない。そのため、駅の利用者も限られ、そこにピアノを設置しても商業施設のような集客効果は得られないと考えられていた。

 しかし、駅は街の顔でもあり、不特定多数の人が行き交う場でもある。そのうえ、列車の待ち時間にじっくりとピアノ鑑賞できる。そうした要因から、地方都市でも駅ピアノの設置が増えていった。

 駅ピアノを含むストリートピアノの存在が認識されるのに伴って、ばよみぃさんやハラミちゃんなど駅ピアノで演奏を披露するアーティストも注目されるようになった。

 駅ピアノが話題になる以前から、東京駅などでは駅コンサートなどが定期的に実施されてきた。しかし、駅コンサートの実施は広い空間が確保できる大きな駅に限られる。地方の小さな駅では余剰スペースがなく、大規模なコンサートは実施できない。駅ピアノは小さな駅でもできるので、言い換えるならリサイズした駅コンサートといえるのかもしれない。

 150年前に鉄道が開業してほどなく、音楽との蜜月関係は始まった。そして現在、鉄道は存亡の危機にある。近年は大都市圏の路線でもワンマン運転へと切り替えが進む。無人駅も増えている。

 ワンマン運転の列車や無人駅で駅メロを導入すれば、運転士がスイッチ操作まで担当しなければならない。駅メロを廃止しても、鉄道の運行に支障は出ない。むしろ、運転士の負担軽減につながるから、人員削減の流れが加速する昨今において駅メロは廃止もしくは簡素化されるのは不思議な話ではない。実際、駅メロから元の発車ベルへと戻した駅がいくつかある。

 駅メロ廃止は、鉄道と音楽の関係性が希薄になっていることを示す一里塚。鉄道がこのまま衰退してしまえば、当然ながら鉄道と音楽の関係性は断絶する。

 取り巻く環境によって関係性に変化が生じることは、時代の流れでもある。それは鉄道と音楽だけの話ではなく、万事に当てはまる。

 問題は、時代の変化にどう対応していくのか? ということだ。互いを引き立て合ってきた鉄道と音楽は、今、生存競争の渦中にある。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

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