野田佳彦元首相「感動の追悼演説」の背景には「自衛官の息子」としてのつらい思い出も

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 野田佳彦元首相による国会での安倍晋三元首相の追悼演説が評判を呼んでいる。

「感動した」という声が多い点では、菅義偉元首相の弔辞と通じるものがある。岸田文雄首相のそれよりもはるかに高い評価を得ているようだ。

 野田元首相が言う通り、「政治的な立場」は異なるとはいえ、国を良くしたいという志は同じであり、また共に総理大臣という重責を担った経験を持つものとしての共感や尊敬の念が込められているからだろう。

 また、「政治的な立場」はともかく、双方の主張には重なるところも多々あり、少なくとも「何でもハンタイ」的スタンスを野田氏はこれまでも取っていなかった。

 特に安全保障に関する考え方では、共通するところもあったようだ。

 野田氏が首相どころか、民主党の代表にすらなっていなかった時期、2009年の著作『民主の敵―政権交代に大義あり―』から、その安全保障観がよくわかる箇所を見てみよう(以下、引用はすべて同書より)。

集団的自衛権を認めるべき

「政府見解としては、集団的自衛権は保持しているけれども、憲法上、それは行使できないということになっています。これを踏み越えることができるかどうかが一番の肝です。

(注:まだ第2次安倍政権は発足していないので、集団的自衛権行使に関する解釈変更についても行われていない)

 この問題をクリアしない限り、自衛隊を海外に出す話など、本来はしてはいけないのではないか、と私は思っています。

 集団的自衛権をフリーハンドで行使できるようにするべきであるというような、乱暴な話は論外です。しかし、いざというときは集団的自衛権の行使に相当することもやらざるを得ないことは、現実的に起こりうるわけです。

 ですから、原則としては、やはり認めるべきだと思います。認めた上で、乱用されないように、歯止めをかける手段をどのように用意しておくべきかという議論が大切になっていくわけです。

 やはり、実行部隊としての自衛隊をきっちりと憲法の中で位置付けなければいけません。いつまでたってもぬえのような存在にしてはならないのです。

 実際は戦闘機も、潜水艦も、戦車も、最新鋭のイージス艦までも持っている、隊員は命を懸けて海外まで行っている現実がある。ようするに日本は軍隊を保持しているわけです。しかも世界的に見たら、かなりの規模と実力を有しています。

 自衛隊(Self Defence Force)などと言っているのは国内だけで、外国から見たら、日本軍(Japanese Army, Japanese Navy, Japanese Air Force)です。その現実をふまえた上で、戦前の恐怖が国民にも周辺諸国にもあるのは隠しようのない事実なのですから、シビリアンコントロールのことも含めて、暴走する可能性をどうすれば抑止することができるのか、あらゆるルールをつくろうではないか、というのが、私の率直な思いです。

 国内での自衛隊の位置付けを明確にする。その上で、国際的な枠組みの中で自衛隊をどう生かしていくのかを考えるべきです。(略)

 自民党にも民主党にも、いろいろな立場の人がいます。それをどう調整するのか。そう簡単に結論が出る問題ではないでしょう。しかし、すでに何十回も自衛隊は海外に行っているわけです。にもかかわらず、基本法がない。一番かわいそうなのは、実際に海外に行く自衛隊員です」

父親は自衛官

 野田元首相の父親は自衛官だった。そのあたりが現実的な安全保障観のベースにあるという。同書では、父の職業や、それによって受けた仕打ちについてつづっている箇所もある。

 野田元首相の父親は戦後、警察予備隊の第1期生に応募し、「自衛隊では、精鋭無比の第1空挺団として有名な習志野駐屯地」に長年いた人物。

「そういう環境ですから、私は幼い頃から厳しい訓練を受けている若い隊員の姿を、いつも見ていました。落下傘で飛行機から降りてくる姿などは日常の光景です。

 出番はないとはいえ、有事に備えて厳しい訓練をしている精鋭たちの姿を間近に見てきたことは、私の安全保障観を支えており、原体験だと思います」

 この精鋭部隊の隊員の子供たちは、同じ小学校に通っていた。そこでは随分肩身の狭い思いをさせられたようだ。

「偶然だったのかわざとだったのか、確かめようもありませんが、先生も、こちらと相反する思想の精鋭が集まっていました。

 今とは比べ物にならないくらい、左翼的な教育の影響が強かった時代です。自衛官の子供に対して『あなたの父親は人殺しを仕事にしている』と言った教師がいた、というような話はよく伝えられていますが、実際にそういう雰囲気がありました。

 小学校の作文でベトナム戦争について書かされたときに、『ベトコン頑張れ、アメリカ負けろ』と書いた子がすごく褒められたのを覚えています。

 小学校では親の職業は知られているわけですが、お袋は、いろいろな調査書とか出さなければいけない書類などには、親父の職業欄に『自衛隊員』とは書かずに『国家公務員』としか書きませんでした。むろん父親の仕事を恥じているわけではないのですが、余計な軋轢(あつれき)を避けたのでしょう。

 もちろん、そういう偏見を持った教師ばかりではないけれども、どうしても教室に政治が入ってきました。それは、子供心にせつないものでした」

 安倍元首相も安全保障への思い入れは強く、自衛隊に深い理解を示していたことで知られている。

 こうした背景が、「感動のスピーチ」を構成する要素の一つとしてあったのではないか。

デイリー新潮編集部

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