池田大作・創価学会名誉会長の金庫番はなぜ1億7500万円の入った金庫を捨てたのか

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陸軍幼年学校出身

 その上中西氏は、池田大作名誉会長の腹心の部下であり、「池田大作の金庫番」「創価学会の大蔵大臣」「陰の会長」などと呼ばれる人物だった。

「中西氏が名乗り出たと聞いた際は、まず耳を疑いました。同時に、池田先生がらみの何かを背負っていると感じました」(二見氏)

 1億7500万円は、池田名誉会長、もしくは創価学会の裏金ではないかと疑われたのだ。

 さらに、その後、

「中西氏の自宅に350万円の根抵当権が設定されていることも明らかになり、中西氏個人の金ではないとの見方に拍車がかかった。つまり、1億7500万円の隠し金があるなら、たった350万円を借金するのは不自然ではないかというわけです」(先の記者)

 小川頼宣・元学会広報部副部長が振り返る。

「中西さんは陸軍幼年学校出身で、謹厳実直を絵に描いたような真面目な人物。池田さんの忠臣でした。彼が勝手に大石寺の売店で儲けて、その利益を隠していたなど有り得ません。ウソをつくにしても、もう少し説得力がないと。事情があって、彼が泥を被ったと見るべきでしょう」

 創価学会は、その後も金は中西氏個人のものであり、学会は関係ないとの姿勢を貫く。7月23日に行われた参議院議員選挙で、公明党は比例区で前回比134万票減という大敗を喫した。

「あの頃は日本中がバブルで浮かれていましたからね。本来、そういう風潮を抑制すべき宗教団体の金銭スキャンダルは、イメージが悪過ぎた。参院選は大逆風で、負けたのも間違いなく金庫事件の影響です」(二見氏)

 10月になって警察は捜査を終了。1億7500万円は中西氏に返還された。彼は記者会見を開き、拾得者に報労金として2600万円、日本赤十字社に1億1千万円寄付することを明らかにした。

 とはいえ、創価学会とすれば、組織としてのケジメを付けねばならない。中西氏の退会届を受理するとともに、「不当な利益追求であり、断じて許しがたい」として、聖教新聞社も彼を懲戒免職にしたのだ。

 当局は、既に脱税の時効5年が過ぎていたこともあり、立件は見送った。カネの出所については疑問を残したまま、これで事件は終息したかに見えた。

 ところが、国税庁は90年になって、突如創価学会への税務調査を行った。

 創価学会への調査を担当したのは、通称「料調」と呼ばれる東京国税局直税部資料調査課だった。「料調」は事件化していない大口・悪質な案件を何年にもわたって執拗に調査することから、「マルサより怖い」と呼ばれる存在。以後3年間にわたって創価学会は、厳しい税務調査にさらされる。その発端となったのが、この「中西金庫事件」だったのである。

 矢野絢也・元公明党委員長は、著書『乱脈経理』(2011年)で、この時の税務調査を、池田名誉会長や秋谷栄之助会長(当時)の指示・依頼に基づいて妨害したと暴露した。

 池田氏の所得問題や創価学会財産の公私混同疑惑をはじめ、数多くの問題が残った。自公連立政権は、そうした税務調査のトラウマと、その後の調査を阻止するための選択だったと指摘している。二見氏もこう総括する。

「金庫事件から税務調査に至る動きは創価学会、なかんずく池田氏を震撼させた。また、それ以前から池田氏の証人喚問も恐れていましたからね。結局、学会や公明党は税務調査の阻止や池田氏を守るために、細川連立政権、自公連立政権と政権与党入りを選択することになったといえます」

 バブル時代の徒花(あだばな)、「中西金庫事件」は、今日の政治状況を生むきっかけの一つといえる。日本の政治に与えた影響は、決して小さくないのだ。

 なお、今年88歳になった中西氏は、事件以後、口を閉ざしたままだ。2011年には、創価学会が不倶戴天の敵とする日蓮正宗に帰依した。それは、関係者の間では学会への“無言の抵抗”だといわれている。

デイリー新潮編集部

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