神戸山口組の井上邦雄組長が「3社ではなく2社連合」を主張する理由、「3社と3派」という2つの呼称が存在するワケ

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3社と呼んでもらいたい勢力

「そういった経緯がある中で、関係修復は不可能だというのがもっぱらの見方でしたが、今年の事件現場(神戸市長田区)における楠本組員の命日供養に、神戸山口組の青木和重本部長、竹本均若頭補佐、池田組の前谷祐一郎若頭といった最高幹部が弔問に訪れたのです」

 自身が狙われ、ボディガードを亡くした織田代表にとっては、この最高幹部らの弔問が今後のために最低限必要な儀式だった。しかし、この“セレモニー”が井上組長の逆鱗に触れ、結果として、3社連合の中核を担った神戸山口組の入江禎副組長(2代目宅見組組長)が脱退することになったのは既報の通りだ。

「3社と呼ばれていたのは、そのように呼んでもらいたい勢力がいたからです。私はそれを池田組だと見ています。神戸時代、池田組長は井上組長の舎弟だったわけですが、こうやって連合となることで対等の関係になることができる。規模は大きい方がベターだし、池田組と絆會とは密接な関係にあるということで”3社”を喧伝していたのでしょう。3社連合の絵を描いたのも池田組で、先に触れた前谷若頭が主導したはずです」

示しがつかないし許せない

 繰り返しになるが、この考え方にNOを突きつけたのが、井上組長だった。

「井上組長は6代目山口組の高山清司若頭に対する思いと同じくらい、織田代表のことを宿敵と見ているように感じましたね。手のひらを返すようにして新組織を作ったことについて示しがつかないし、許せないというわけです」

 ところで、3社連合に対して3派連合なる言い方も一時、流布したことがあった。

「主に6代目山口組側は3派と言っていたように記憶しています。社よりも派の方が組織として規模が小さい、大したことはないという風に今回の件を示したいという意図が見え隠れしていました」

 3社連合に3派連合、入江副組長の脱退、2社連合……。ここ1カ月で目まぐるしい動きに驚く他ないが、井上組長自身、「この先はわからない」と見ているようで、まだまだ波乱含みであることは間違いなさそうだ。

デイリー新潮編集部

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