妻の介護のために90代からジム通い 映画にもなった101歳が語る“読書漬け”の日々

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90代でジム通いをスタート

 良則さんは1920(大正9)年、呉の米屋の息子として生まれた。「三高(京大)で言語学を勉強したかった」が父の許しが出ず、高松高等商業学校(現・香川大)へ。在学中に召集され、広島市の陸軍野砲隊に入隊。原爆の日は、たまたま一時帰還で呉の実家に帰っていて被爆を免れた。親友たちが戦死、被爆死した中、自身の戦後を「付録の人生」と言う。地元の食料品卸会社に勤務し、経理畑を定年まで。「仕事は嫌いじゃった」ので「家族」と「読書」を生きがいにつましく暮らした。

 定年後、NHKの語学テキストで4、5カ国語を勉強した4年間を経て、妻が神戸の師について書道を学ぶのを応援し続けた。傍ら、読書三昧。「わしの人生、付録の人生にしては上出来よ」と繰り返しつつ、90歳過ぎから「100歳まで生きるぞ」も口癖に。妻が85歳で認知症になった後、懸命に老々介護をしたのは、前述の映画のとおりだ。5年前からの週3日のジム通いは、「おっ母を介護する体力をつけにゃあ」との思いからだったそう。

 ジムへ同行させてもらった。歩行はえっちらおっちらだが、「よっこらしょ」とエアロバイクに乗れば、その動きは年下の人たちと遜色ない。

「信友さんが頑張っていらっしゃる姿は私の励み。力をもらっています」と、隣でエアロをこいでいた蒔田綾子さん(82)。猫背を改善するプログラムが組まれていて、次は「滑車マシーン」。スタッフの山根慎太郎さんの「手をまっすぐ上げましょう」とのアドバイスに、にこにことうなずく良則さんだ。

井上理津子(いのうえりつこ)
ノンフィクションライター。1955年奈良市生まれ。京都女子大学短期大学部卒。タウン誌を経てフリーに。人物ルポや町歩き、庶民史をテーマに執筆。著書に『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』『親を送る』『絶滅危惧個人商店』など。

週刊新潮 2022年9月22日号掲載

特別読物「『百寿の奥義』を学びたい 『元気な100歳』は老後をどう過ごしてきたか」より

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