千昌夫はバブルで一時、資産2千億円 360億円の離婚訴訟でいくら払ったのか

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ウーマンリブの闘士

 先の岸部氏が回想する。

「私が見る限り、二人は仲が悪かったわけでもなかったんですよ。シェパードは猫好きで10匹くらいは飼ってたかな。千もすごく可愛がっていて、自分が作ったレコードレーベルには『キャッツタウン』って名付けたくらいだしね」

 離婚の原因についてはこう推測する。

「千は、17歳で東京に出てきて、20歳の時、『星影のワルツ』でいきなりスターになった。誤解を恐れず言えば、非常識の塊みたいな男。それに比べ、シェパードは育ちのいいお嬢さんって感じで、落ち着いた人でさ。常識人なの。二人の関係は、夫婦というより、千が生徒でシェパードは先生みたいに見えたな。年も彼女の方が三つ上だしね。私の前でも、千は彼女にものすごく気を使っている感じだった。そんな時、若くて自分に甘えてくるアマンダさんが現れて、コロッといっちゃったんだな。千から離婚の報告を受けた時は、『別れない方がいい』と言ったんだ。まあ、彼の気持ちも分からないわけでもないけどね」

 かつてシェパードにインタビューした芸能レポーターの須藤甚一郎氏によれば、

「二人が結婚した72年頃は、アメリカ発祥のウーマンリブ運動が盛んな時代でした。実は彼女もウーマンリブの闘士だったんですよ。広尾の自宅を訪ね、話を聞きに行った。すると、彼女はしきりに千の話をしたがりましてね。マサオはジェントルマン、インテリジェントだとか。何度も言うものだから、彼女の方が千に“お熱”なんだと思ったものです」

 ウーマンリブの血が騒いだのかどうかは定かでないが、千が自宅を出ると、彼女はカリフォルニア州の裁判所に財産分与の訴訟を起こした。さらに膠着状態が続くと、今度はボブ・ディランの夫人の離婚訴訟でも巨額の財産分与を勝ち取った辣腕弁護士ミッチェルソン氏を雇うなど、常に先手を打ち続けた。

 もっとも千の所有する不動産のほとんどは、彼の持つ会社の名義になっていた。その上、一度買った不動産は基本的に売らないというポリシーゆえ、千のもとには、資産とほぼ同額の借金があったという。そのため、お互い離婚の意思はさっさと確認できたものの、財産分与はもめにもめ、離婚成立(88年7月)まで約2年の歳月を要した。

「当時の報道だと、財産分与とかお金の話ばっかり注目されたけど、別にシェパード自身は財産だけが欲しかったわけじゃないと思うね。彼女にすれば、『千を育てたのは私』という自負があったはず。若い千に、世の中の常識とかルールを教えて、いっぱしの大人にしたのに、さも自分の才能だけで財を築き上げたみたいに思われるのが許せなかったんでしょう」(先の岸部氏)

 結局、シェパードは広尾の豪邸に居住する権利などを含む50億円を手にした、と報道された。岸部氏は「実際にはそんなにもらってないと思う」とは言うものの、シェパードが巨額の財産分与を受けたことは確かである。

 さて、その後の二人は、どんな人生を歩んだか。

 千は愛人だったアマンダさんと再婚し、4人の子どもがいる。不動産業は、90年の大蔵省の総量規制に端を発したバブル崩壊のあおりをモロに喰らい、千の借金は総額2千億円にまで膨れ上がった。結局、千の会社は2000年に経営破綻、彼自身も個人版の民事再生手続を申請した。

 シェパードは、離婚後も千の事業に振り回された。

「広尾の家は離婚後も千の会社名義のままでした。経営破綻した際、彼女は立ち退きを命じられ、アメリカに帰国しています」(『千昌夫 驚異の蓄財術』の著者・段勲氏)

 それでも、シェパードは日本が好きなようで、

「10年ほど前、明治神宮に初詣に行ったら偶然シェパードに会いました。アメリカ人と再婚して今も日本に住んでいる、と言ってましたよ」(先の岸部氏)

 シェパードにすれば、もしもバブル崩壊後に離婚していたら、巨額の財産分与どころではなかったはずである。彼女にとって、あのタイミングで離婚を成立させ、巨額のお金を手にしたことは、“不幸中の幸い”だったといえよう。

デイリー新潮編集部

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