秋ドラマで中島ハルコが帰って来る この役柄は大地真央がハマり役と言われる理由

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激辛のハルコの言葉も魅力

 頼られた時、相手に掛ける言葉も独特だ。前作でミュージシャンになりたいから名古屋大を中退すると言い出した知人の息子にはこう助言した。

「人生は、その気になれば何度でも仕切り直せる。ただし、学歴があるのとないのとでは大違い。学歴があれば、信用もツレ(友人)も勝手に増える。学歴は大いに利用すべき通行証みたいなもの」(ハルコ)

 正論かも知れないが、ここまで営利的に学歴のメリットを説明する大人はそういない。「学びは一生の宝になる」みたいな綺麗事は一切言わないのだ。

 前作では家庭問題にもクビを突っ込んだ。会社を早期退職して家でゴロゴロしているイトコの夫に対し「家事を手伝わない夫は粗大ゴミ同然」(ハルコ)と斬り捨てた。

 また容姿や年齢などで負い目を感じるのはまるで無意味なことだと説いた。

「コンプレックスはクヨクヨ悩むだけ時間の無駄」(ハルコ)

 いずれも激辛な言葉ばかりだったが、ツイッターなどSNSには共鳴する声がずらりと並んだ。

「心に刺さる名言のオンパレード」(ツイッター、昨年5月30日)

 ハルコの言葉はドラマの人気を押し上げる要因の1つになった。続編でもヒリヒリするような言葉を耳に出来るはずだ。

個性的だった宝塚時代。ハゲヅラもかぶった

 大地が宝塚歌劇団出身なのは知られている通り。出身は兵庫県淡路島。1971年に地元中学を卒業するのと同時に同音楽学校に入学する。難関だが、一発で合格した。

 本当は最初から芸能界に入り、女優になりたいと考えていた。しかし父親が猛反対。結局、礼儀作法も厳しく教育する宝塚なら許すということになった。

 音楽学校卒業後の1973年、月組に男役として配属された。劇団側とファンは早い時期から特別な期待をしていた。大地がハルコと同じく、やることなすこと規格外だったからだ。演技や歌、ダンスの技量が抜群だった上、独創性があった。

 1977年、宝塚のドル箱の「風と共に去りぬ」に出演した際のこと。大地はまだ4年目だったので、役柄は1人の機関士だった。本来、地味な役柄である。

 ところが機関士役の大地が帽子を脱ぐと、誰も予想もしなかったスキンヘッドだった。大地は独断でハゲヅラをかぶっていたのだ。

 客席は爆笑に包まれ、主人公のレット・バトラーを演じていた榛名由梨(76)も思わず笑った。もちろん大地に他意はなかった。こうしたほうが機関士の役柄に説得力が生まれると考えたのだ。

 1982年に月組トップスターに就いても保守的にならず、新しいことに挑戦した。たとえば、横髪を刈り上げ、残りの毛は逆立て、モヒカンヘアでステージに上がったこともある。世間でもモヒカンが流行し始めていたころだった。宝塚では初めてだった。

 大地は2009年の大晦日に放送された「絶対に笑ってはいけいないホテルマン24時」(日本テレビ)に出演。林家パー子(73)そっくりの林家マー子に扮し、観る側を仰天させた。だが、大地にとっては特別なことではなかったのだろう。宝塚のハゲヅラやモヒカンと一緒。イメージが損なわれる恐れなど気にせず、作品にプラスになると思ったことは何でもやる人なのだ。

 1985年8月の宝塚退団時のパレードには当時としては最高の約5000人が集まった。ファンは大地の美しさや芸にだけ惹かれていたわけでなく、その太陽のような明るさも愛した。内面が魅力的なのもハルコと同じだ。

 まだまだ第一線の女優として活躍を続ける一方、アンチエイジングの旗手として注目を集め続けるに違いない。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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