国葬参列の天皇皇后両陛下は「イギリス留学」のご経験 若き日のそれぞれの思い出とは

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殺到した取材陣

 一方、雅子さまはイギリス留学で、かなり苦しい経験もされたようだ。それには両陛下の“出会い”も関係している。

「天皇陛下と雅子さまが初めてお会いになったのは1986年のことでした。お二人は数回、食事などを共にされます。その際、陛下は雅子さまにイギリス留学時代の思い出話などを披露されたそうです」(同・記者)

 この時、雅子さまは東京大学に通う大学生だった。

 雅子さまは85年にハーバード大学を卒業すると、東京大学に外部学士入学された。そして同年、外交官試験を受験して合格。87年に入省された。

「お二人のご親交が深まるか、と期待する宮内庁の職員もいたようです。ところが雅子さまは入省されると、研修留学でオックスフォード大学に入学されることが決まったのです。期間は88年から90年までの2年間。いわば“長距離の壁”がいきなり出現したような状況になってしまいました」(同・記者)

 この頃、大手マスコミが雅子さまを“お妃候補”としてキャッチ。間が悪いとしか言いようがないが、多数の報道陣がオックスフォードに殺到した。

「報道は過熱し、雅子さまはかなりの精神的苦痛を受けられました。留学中にテレビ局の取材に応じ、お妃候補であることを否定されたこともありました。陛下の雅子さまに対するお気持ちを知っていた職員の中には、テレビを見て絶望を感じた方もいたそうです」(同・記者)

神経質な時期

 先に触れた通り、雅子さまが皇太子妃に内定されたのは1993年。この年の1月9日、読売新聞は「[素顔の雅子さん](下)多忙な第一線最後まで貫く 時には課長代理も(連載)」の記事を掲載した。記事中から留学中の様子を伝えたところをご紹介する。

《このころすでにお妃(きさき)候補と週刊誌などで報じられており、オックスフォードでは、日本からやって来るマスコミの取材に、極度に神経をとがらせることになる。日本人会など在留邦人とのつきあいも避けることが多く「勉強は熱心だったが、カメラに追い回され、かなり神経質になっていた」(留学生仲間)》

《一年目の冬には体調も崩し、かなり長期にわたって授業を休んだ。そのこともあって専攻の国際政治学の論文が完成しなかったことを、最後まで悔しがっていたという》

 雅子さまの留学から、既に30年近い歳月が流れたことになる。両陛下は、まさに久しぶりにイギリスの空気を吸われるわけだ。当時の記憶が脳裏に去来されることはあるだろうか──?

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