五輪汚職で200万円…なぜ森元総理はいつも逮捕されない? 過去のカネがらみの疑惑を検証

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1億円超の売却益を手にしたが…

 そんな森元総理の政治家人生における「最大の危機」が、あの「リクルート事件」であったことは一般にはあまり知られていないかもしれない。当時の森氏は官房副長官や文部大臣を歴任し、まさにこれから、という時期。もしあの大疑獄で立件されていたら、その後、首相になることもなかっただろう。

 特捜部がリクルート社の創業者である江副浩正元会長を逮捕したのは89年2月。その後、「NTT」「文部省」「労働省」「政界」という4ルートの贈賄罪で起訴された。「政界ルート」で起訴された政治家は、藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也元代議士の二人。森元総理は84年12月にリクルートコスモス株(当時は環境開発社名義)の未公開株3千株を譲り受け、後に1億円を超える売却益を出したが、特捜部の捜査の網からはまんまと逃れた。

「コスモスの未公開株は何回かに分けてばらまかれており、森さんが譲渡された84年12月の分は、店頭公開直前の86年9月にばらまかれ藤波官房長官らが訴追されたものと比べると、確実に値上がりするとは言いにくかった。また、職務との対価性が明確でないことから検察は食指を動かさなかったのだと思います」(先の司法記者)

“策士で油断ならない人”

 リクルート事件の真っ只中で同社の危機管理を担っていた危機管理コンサルタントの田中辰巳氏は、

「当時のリクルートのトップは森さんについて、“策士で油断ならない人”との印象を抱いていました」

 と、振り返る。

 一連のリクルート関連報道の口火を切ったのは、88年6月18日の朝日新聞の記事。川崎市の助役がリクルートコスモス社の未公開株を譲渡され、1億円の売却益を出したことを報じる記事であった。

「リクルートがその朝日新聞記事に悩まされていた時、いきなり産経新聞に森さんのインタビュー記事が掲載されました。そこでは、森さんの他にも複数の自民党代議士が株の譲渡を受けていることが示唆されていました。まだ森さん以外の政治家の名前が全く報じられていない段階で。森さんは産経のご出身ですから、リクルートは疑心暗鬼に陥ってしまいましたね」(同)

 森元総理は産経に記事を書かせることによって“ガス抜き”を図ったのではないか。そう疑う声が上がったのは当然だが、実際、報道が過熱していく中、新聞紙面から「森喜朗」の名前は消えていった。

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