貴重写真で振り返る、吉田茂元首相“国葬”の風景 当時も反対の声が…人々は黙祷の要請に応じなかった?

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当時も反対の声が

 世論調査では依然として反対派が賛成派を上回ったまま、9月27日の開催まで3週間を切った、安倍晋三元首相の“国葬”。だが、正直なところ、そもそも“国葬”がどのようなものかピンとこない向きも多いのではあるまいか。なにしろ前回行われたのは1967年、吉田茂元首相が亡くなって11日後の10月31日のことだった。会場は、今回とおなじく日本武道館。貴重なカットで振り返る、戦後初にして唯一の“国葬”の風景――。

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 89歳で大往生を遂げた吉田茂の国葬を、亡くなったその日に決めたのは佐藤栄作首相(当時)。東南アジアを外遊中だったが、急遽帰国し、吉田の遺体にすがりついて泣いていたという。このときも、唐突な国葬の決定には、“戦後、国葬は廃止されていたではないか”“日本の復興は国民の努力の賜物ではないか”等々、反対の声は決して小さくなかった。

 当日は雲ひとつない秋晴れ。参列者は、現在の上皇上皇后両陛下である皇太子ご夫妻、与野党の国会議員、そして72カ国の大使など、約6500人。アメリカからは、マッカーサーの後任として日本の占領統治にあたったGHQのリッジウェイ将軍が訪れた。

 会場には、12畳もの大きさの巨大な遺影が。カーネーション、バラが祭壇や生花などに使用され、特に8万本もの菊の香りが充満していた。

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