「香川照之」遺失利益は数十億円レベル 自分を捨てた父・市川猿翁への屈折した愛情

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

「浜さんありがとう、恩讐の彼方に」

〈あの手記を読みました、泣きながら。ほんとに泣きました。(中略)ひどい父親だと思いました。(中略)「僕はあなたの父ではない。今後、二度と会わないでしょう」なんて……。間違いなくあの人の子どもなのに、普通、そんなこと言わないでしょう〉

「蘇生した」「二度と会わない」とまで実の息子に宣告した猿之助は、藤間紫と2000年に入籍。そして03年に脳梗塞で倒れた。他方、香川に長男が生まれたのは04年。紫は猿之助と香川の関係修復に腐心するようになる。

 紫は09年3月に亡くなったが、それまでの彼女の働きかけが襲名披露という形で実を結んだのが、11年9月のことである。猿之助が猿翁を名乗ると同時に、香川が9代目市川中車、彼の長男・政明が5代目市川團子(だんこ)として、それぞれ歌舞伎界入りすることが発表されたのだ。新・猿翁は席上、脳梗塞でままならぬ口から、

「浜さんありがとう、恩讐の彼方に」

 と絞り出したのだった。

親子和解のきっかけは?

「ここまで息子を育ててくれた浜木綿子への感謝の気持ちということですね」

 と、関係者が振り返る。

「親子和解のきっかけは、息子を歌舞伎界に入れたいという香川の熱意があったからでしょう。それは、猿翁が藤間紫を亡くして気落ちしていた時期に重なっています。襲名披露の後は猿翁が香川に稽古をつけ、舞台で共演を果たしてきました」

 市川中車の襲名は猿翁にとっても、そして浜にとってもこの上ない喜びだったようだ。

 もちろん、どんなに厳しく困難な境遇から這い上がってきたとしても今回報じられている振る舞いの免罪符となることはない。が、大いなる人生の危機に差し掛かった香川に手を差し伸べるものがあるとしたら、年老いた両親と歌舞伎ということになるのだろうか。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。