年寄りはいくつになっても本気! 養老孟司と池田清彦が語る「どん底まで落ちたら、掘れ」

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 解剖学者の養老孟司さんと生物学者の池田清彦さんは、虫という共通の趣味を持つ長年の虫仲間であり、また共著もあるという点では仕事仲間という面もある。

 養老さんは現在84歳。池田さんは75歳。

 仕事でもプライベートでもしょっちゅう顔を合わせている二人だが、会えば話が弾むようで、新著『年寄りは本気だ―はみ出し日本論―』は、「怖いモノなし、84歳と75歳が語り尽くす、シン・ニホン論。」という一冊だ。

「怖いモノなし」というだけに、新型コロナ、国防、AI等々あらゆるテーマを自由自在に斬っている同書の中で、ファンにとって興味深いのは、二人が「なれ初め」について語っている箇所かもしれない。

「年寄り」二人がまだ若かった頃、初対面でどう感じたのか。なぜ意気投合したのか。それぞれの人生観も伝わってくる、味わい深い部分を抜粋・引用してみよう(以下、引用は『年寄りは本気だ』の「第8章 日本人の幸せって」より)

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大酒飲みだった養老先生

池田 考えてみたら、最初に養老さんに会ったのは、1986年に柴谷篤弘先生(故人・生物学者)が主催して開いた構造主義生物学の第1回のシンポジウムだったよね。もう35年くらい前だけど。

養老 そうだったね。

池田 当時の養老さんは大酒飲みで、たばこもめちゃくちゃ吸っていて、僕は心の中で「この人は長生きしねえな」と思った。一見元気そうだけど、芯のところがすごくナイーブな人という印象で、実際、そのころは東大の教授になったばかりだったからストレスも多かったと思う。だから、養老さんが大学を辞めたときは、これでだいぶ楽になるだろう、虫採りも自由に行けていいなと思った。

 養老さんはそれから本当に焼けぼっくいに火がついたみたいに虫に夢中になって、僕と一緒によく東南アジアへ虫採りに出かけるようになったよね。僕も養老さんに虫友だちをたくさん紹介して、交流が広がった。ウマの合うやつも合わないやつもいるけど、虫仲間がどんどんつながっていったのは面白かったな。

養老 池田君のおかげだよ。大学にいたころは虫採りなんて、あまりしなかったから。どうしてかというと、本業とダブっちゃうんだ。僕は、研究に使うネズミを捕っていたでしょう。ネズミを捕るのと虫を採るのは、似たところがあるから。

池田 人間は、同時に同じことをできないんだよね。養老さんも知っている、さっき話に出た西村正賢(蝶類研究者)君はかなり変わった人で、奥さんを口説いた話をしていたとき、「その時も虫を採っていたの」と聞いたら、「採っていません。人間は同時に同じようなことはできませんから」と言っていた。西村君の頭の中じゃ、虫を採るのとかみさんを口説くのは同じなんだ(笑)。

 西村君は正義感が強い人で、自分の正義に反する人と仲が悪かったけれど、僕は話が通じない相手には、適当にニコニコしてごまかすようにしている。物理学者のマイケル・ポランニーのお兄さんで、経済人類学者のカール・ポランニーの名言は「愚かな人には、ただ頭を下げよ」。それが僕の座右の銘。

養老 僕の座右の銘は「どん底まで落ちたら、掘れ」。これは、ピーノ・アプリーレというイタリア人ジャーナリストが書いた『愚か者ほど出世する』(泉典子訳、中公文庫)という本に出ていたんだけど。

池田 それもいいよね。もう一つ、僕の座右の銘は「人生は短い、働いている暇はない」。これは自分でつくったんだ。

養老 名言だよ。正しいことを言っている(笑)。

面白い人と付き合いたい

池田 でも、振り返ると、僕は養老さんと柴谷先生にはずいぶんかわいがってもらってありがたかったな。

 僕から見ると、養老さんの書くものはすごいんだ。何気なく書いているけど、僕にはない視点から世界を見ていて、読むと必ず発見がある。そうか、養老さんはこういうことを考えるのかって。きっと、これまでの人生で経験してきたことが違うんだな。周りの人も、養老さんのそういう才能がわかるから、執筆の依頼が引きも切らない。

 世の中、面白い人と面白くない人がいるけど、人生の時間は限られているから、なるべく面白い人と付き合いたいよね。その意味で、僕は養老さんと出会えてよかった。

養老 僕も池田君と付き合ったのは、面白い人だからだよ。決まった範囲の中でしかものを考えない人はたくさんいるけど、池田君は最初に会ったときから、そういう枠からはみ出していたから。

池田 そうかもしれないな。自分でものを書くときも、他人が書いているようなことを書きたくないから、普段からできるだけヘンなことを考えようとしているし。単にヘンなだけじゃつまらないから、一応理屈の裏付けがあって、面白そうなことを書くようにしている。そうすると、わかる人にはわかるけど、わからない人にはわからないけど。

はみ出る人が好きなんだ

養老 はみ出る人には、普通の人から理解されないというつらさもあるんだ。はみ出ながら生きることは、それ自体、大変だし。でも、僕ははみ出る人が好きなんだ。

池田 だから、養老さんの周りには、はみ出たやつばかり集まってくるんだ(笑)。

 養老さんに対してもそうかもしれないけど、僕への批判には「専門家でもないのに、偉そうなことを書くな」というのが多い。でも、専門家がいつも正しいとも、面白いことを言うとも限らないよね。特に新型コロナみたいなものがこの先どうなるかなんて、専門家に聞いてもわからない。それより、勘のいいやつに意見を聞いたほうが、後々やっぱりそうなったということは少なくない。専門家は、その分野と関係する業界との利害が足かせになって、言いたいことを言えないことも多いし。

養老 僕もこの前、お坊さんの集まりで講演したとき、「専門家は信用しない」と言ったんだ。どうしてかというと、僕は中学生のころから虫の世界にいて、その道の専門家というものを知っているから。虫の世界でも、カミキリムシのことはあの人に聞け、タマムシのことはこの人に聞けというふうにテリトリーが分かれている。どの虫を研究しようとたいして変わらないんだから、わざわざその人に聞かなくてもいいのに。

 そういう住み分けは、日本の人口密度が高いことと関係していると思うんだ。この国は山地が多くて、人が住める場所が限られている。だから、国土の広さから林野や湖を除いた可住地面積当たりの人口密度が、ヨーロッパのいちばん過密な国と比べても2倍くらいある。

 こんな狭い範囲に大勢が寄り集まって暮らしている社会は、他にないでしょう。

 専門分野を細かく分けるのも、そういう社会で人がうまく生きていくための知恵じゃないか。インドのカースト制度で職業が細かく決められているのと似ていて、お互いに面倒な思いをしないよう、一種の分業制になっている。(略)

塀の上を歩いてきた二人

池田 学界の中での制約が面倒なら、そこからドロップアウトすればいい。ただ、そうすると、専門家からは無視されるようになる。僕も科学哲学の本をいくつか書いたけど、悪口も言われない代わり、褒められもしない。引用してくれたのは東洋医学の人とか、介護関係の人とか、本家の科学哲学の専門家以外の人ばかりだった。

 専門家にしたら、部外者が勝手に本や論文を書くのは、自分の縄張りを荒らされるような気がして気分が悪いんだろうね。日本は特にそういう傾向が強い。

 でも、養老さんや僕が書くものを一般の人たちが読んでくれるのは、専門分野から適当にドロップアウトしているからじゃないか。

養老 そういう状態を、僕は「塀の上を歩く」と言っているんだ。塀の内側に落ちれば、それこそ専門分野の中に埋没して見えるべきものが見えなくなる。外側に落ちれば世間から完全にはみ出て、食べていけなくなる(笑)。

池田 塀の上を歩いていれば、内側と外側の両方を見渡せて、本当に大事なことが見えてくるということだよね。だから、言論界で求められる人には塀の上を歩いているような人が多いけど、そこで上手にバランスを取るにはそれなりの芸当がいる。

 僕は塀に関係なく結構過激なことを言うから、テレビの生番組には滅多に出してもらえないんだ。昔、番組構成の都合上、僕を生番組に出さざるを得なくなった時、ディレクターが僕のところに来て、「先生、今日は何もしゃべらないで、ニコニコしていてくだされば結構ですから。出演料はちゃんと差し上げますから」って。要するに、僕が過激なことを言うと後で面倒だから、黙っててくださいということなんだ(笑)。

 ラジオ番組に生出演したときも、僕の発言に対しておわびが出たことが何度かあった。そのうち一回は、「どんな女性が好きですか」と聞かれて、「オードリー・ヘップバーンなんか、かわいいな」と答えたら、「マリリン・モンローはどうですか」と聞くから、「おっぱいがでかすぎるから、俺はあんまり好きじゃない」と言ったんだ。そうしたら、後で「番組中、不適切な発言があったことをおわびします」というコメントが流れて。「おっぱいがでかい」が悪かったのかもしれないけど、そんなの個人の好みの問題でしょう。嫌なら、最初からそんな質問しないでほしい(笑)。

養老 この対談も、不適切な発言をおわびしないといけないかもしれないね(笑)。

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 30年以上前に知り合った二人が、今なお互いに尊敬の念を抱きながら、笑いながらあれこれ話し、刺激を受け合っている。そんな友人がいることの幸せも伝わってくる一冊である。

デイリー新潮編集部

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