【終戦記念日】「三船敏郎さんのセリフに二度、号泣した」 俳優「黒沢年雄」が明かす「日本のいちばん長い日」秘話

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「悪かったな。何かあったら力になるぞ」

 実は、三船さんとはそれ以前にもご縁がありました。「日本のいちばん長い日」と同じ岡本監督の映画「侍」(1965年公開)で初めて共演したんです。桜田門外の変を題材にした時代劇で、僕は三船さんに斬りつけられるシーンがあった。三船さんは本気で役柄を演じる人なので殺陣も一切妥協しません。それで、勢い余って三船さんが振るった刀が僕の眉間をスパッと切ってしまった。僕は顔面血だらけのまま倒れ込んで、結局は5針縫うことに。幸い傷痕はそれほど気にならなかったんですが、三船さんは僕のことを気遣ってくれましてね。

 当時の僕は、横浜のボロ屋で父親、そして弟3人と一緒に暮らしていました。そこに、三船さんが真っ白いスポーツカー“MG‐TD”で乗りつけたんです。いや、驚きましたよ。世界のミフネが、わざわざ僕の実家を探し回って訪ねてきてくれたんですから。たまたま実家にいた僕に、三船さんはお見舞いとして豪華なカゴ入りの果物を渡しながら、「悪かったな。何かあったら力になるぞ」と言ってくれた。しかも、カゴのなかに3万円入りの封筒が入っていてね。いまの価値にして20万円くらいでしょうか。貧乏暮らしだったから、「これで弟たちに好きな物を買ってやれるぞ」と大喜びしたのを覚えています。「日本のいちばん長い日」の撮影で、僕のためにセリフをもう一度読み上げてくれたのは、その一件があったからかもしれません。そのときから僕は、三船さんを深く尊敬するようになりました。

黒沢年雄(くろさわ・としお)
俳優。1944年、神奈川県生まれ。日大横浜学園高校を卒業後、64年に第4期オール東宝ニュータレントに合格。「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)など多数の映画、ドラマに出演し、歌手としても「時には娼婦のように」が大ヒットした。

デイリー新潮編集部

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