アームレスラー「山田よう子さん」は五児の母 イジメも受けた“壮絶人生”を本人が語る

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 世のなかには、とてつもない才能の持ち主がたしかにいる。私たちはいつもそういう人たちに憧れ、そういう人たちから何かを掴んでみたいとも思っている。

 しかし、実際どうなんだろう。

 本当に才能ある人たちから、私たち凡人に学べることなんてあるのだろうか?

 山田よう子さんは数々の女子アームレスリング世界タイトルを持つ、“本当に才能のある人”のひとりだ。

 だから、彼女の生き方を見知ったところで、私たちに彼女の真似などできはしない。

 ただ、こんなことは言えると思う。

 当たり前だが、そんな才能を持った人でも歳だけは私たちと同じように取っていく。そして、年齢の壁と向き合っていくことになる。

 その“向き合い方”だけは、どんな凡人にとっても参考になるものを含み、私たちもそこから何かを学ぶことができるのではないか。

 そんなことを考えつつ、彼女の今までと今、そしてこれからの話を彼女に聞いてみた。

 山田よう子さんの身体に宿っていた“アスリートとしての非凡さ”は、既に小学生の頃から開花していたようだ。

――昔、東京都中央区勝どきにあった小学校に通ってました。地域や小学校とかで“~大会”とかいろいろあるじゃないですか? 例えば「相撲大会」とか「羽根つき大会」とか「バドミントン大会」とか…そういう類のもの。その“大会”という言葉が耳に入ると、なんか自然と「絶対参加するしかない」と思っちゃうんですよね。

 それで参加すると、ジャンルとか関係なく出る大会で全部優勝しちゃうんです。バドミントン大会に参加した後など、中国から選手推薦が来たくらいでした。50mの徒競走でも当時6秒9.男子女子関係なく一番でした。

 で、何かトレーニングしていたとか、そういうことは特別何もないんです。でも、大会にでると勝ってしまう。

 あ、ただ小学2年の頃からダンプ松本さんを倒すために自己流トレーニングは寝る前やっていましたが…(笑)。

 こんな小さい頃からアスリートの才能が多角的に花開いていた彼女だが、中学校にあがるとアームレスリングに出会うまでは、かなりしんどい人生だったように見える。

「洋子おばちゃん」に相談

――そのノリで中学に上がったら、短距離走で初めて負けてしまいました。中1の頃です。結構それがショックでした。

 中1の2学期になると結構いじめを受け、学校からも「来ないでいい」と言われ、新宿にある施設に入ったんです。でも、その施設もいやになって脱走しました。(笑)

 その後、実家があった佐賀県でしばらく暮らした後、“洋子おばちゃん”(※1)と相談して「洋子おばちゃんも女優だったし、自分もできるかも」と思い、中学3年から「人間プロ」(※2)に所属しつつ、高校は堀越学園高校芸能科に行きました。

※1「洋子おばちゃん」…女優・故南田洋子さんのこと。山田よう子さんは南田さんの従兄弟の娘で、非常に親密な関係だった)

※2「人間プロ」…故・南田洋子さんが夫の故・長門裕之とともに作った芸能プロダクション

 しかし、またしても学校になじめず、渋谷に遊びに行ったりケンカしたりしていました。

 高校2年の頃、フジテレビのお昼の連ドラなどにも出演しましたが、また撮影現場で私はいじめに遭います。当時有名な女優さんに“(南田洋子さんの)七光りのくせして!”と、いじめられたのです。

 結局、高校は出たけれど、芝居に打ち込む気にもなれず、かと言って自分の場所が特になかった22歳のころでした。偶然、居酒屋で当時のアームレスラーのチャンピオン・関谷栄一さんたちと出会い、アームレスリングの話を聞くことができたのは。

「大会」「試合」と聞いて、久しぶりに“やりたい”“やりたい”“私もやりたい!”と連呼し、どちらかというと関谷さんたちをドン引きさせたほどでした。

 アームレスリングでの活躍をきっかけにして、彼女のアスリートとしての才能は総合格闘技やプロレスへと広がっていくことになる。

――関谷さんたちと出会って約半年後、アームレスリング世界大会で2位になりました。実は大会参加を決めてから大会に出るまで、ほとんど練習らしき練習はしていないんです。その頃は怖いものなんかなかったし、総合格闘技なんかもやり始めの頃は“ケンカの延長”だと思ってましたから。いや、もちろん今は格闘技には技術の問題もあるのがわかりますし、昔とはまったく違いますけれど (笑) 。

 アームの場合、試合開始時のレフリーの合図“Ready Go!”に対する反応が、私はほかの選手より少しだけ早く反応できていたから勝てていたのだろうと思います。

 ただ、初めてのアームレスリングで2位になった時は、本当に驚きました。“負けるって、こういう感覚なんだ”ってことに。自分は中1の短距離走以来、負けたこと自体がなかったから、その“負けるときの自分の感覚”に驚いたんですね。

 アームレスリングで世界2位をいきなり獲った後、いろいろな格闘技関係の方から連絡を頂き、24歳の時、アームレスリング、総合格闘技、プロレスの3種目を掛け持ちするようになりました。その3つのジャンルのうち、何かしらの試合が二ヵ月に1回は入っているペースでした。この頃から29歳の頃までは、今までの自分にはないほどかなり練習しました。

 29歳の頃、自分の写真集も出せたし、この頃が格闘家としては自分のピークだったのかもしれません。

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