山上容疑者の犯行は「過去のテロ」とどこが違うのか 古谷経衡が語る「決めつけ」の危険性

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 安倍晋三元首相が選挙演説中に銃撃され、死亡するという前代未聞の事件。評論家の古谷経衡は、この事件を「無敵の人の犯行」「統一教会が全て悪い」というように決めつけるのは危険だと警鐘を鳴らす。

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 今回、世界中が驚いたのは、これだけの事件が銃規制の非常に厳しい日本で起きたからです。しかも使用されたのが手製の銃だったことで、事件の異様さが増しています。

 発生直後は「散弾銃」と報じられたので、猟銃免許があれば所有できるものが使われたのだろうと思いました。事実、猟銃を使った事件なら過去にもたまに起きています。ところが、今回は容疑者が自ら銃を製造していました。だから、あんなに噴煙が上がって、爆竹のようでもあり、花火のようにも見え、SPの目が惑わされたのではないでしょうか。普通の拳銃が使用されていれば、SPはもう少し対処できたのではないかと思います。

 仮に猟銃が使われていたなら、猟銃免許の取得を制限するなど、今後への対処のしようもあります。しかし、今回は勝手に銃が造られていたわけですから、マークのしようがありません。私自身、そのことに大きな衝撃を受け、新しいテロリズムの一種と呼べるのではないかと考えています。

 過去に日本で要人が公衆の面前で殺された例をさかのぼると、みな一対一で刺殺されています。たとえば、1960年に社会党の浅沼稲次郎委員長が襲撃されたときは、刃物で刺されました。1995年にオウム真理教の村井秀夫幹部が刺殺されたときも同様です。今回、そのやり方では、容疑者が目的を遂げられたとは思えません。やはり容疑者は銃器を使いたいと考えたのでしょう。

過去のどの犯罪とも重なっていない

 中年ぐらいの人が社会的に孤立し、相談相手もないまま社会や特定の誰かに恨みを抱き、失うものがなにもないために凶行に及んでしまう――。そういう人は、「無敵の人」と呼ばれています。

 今回の容疑者もそれに該当する面があるとは思います。しかし、そういう人はふつう銃を造ったりはしません。他人を殺傷できる道具は、ナイフをはじめとしてもっと手近にあって、それらは誰でも購入できます。それなのに、わざわざ銃を造るというのは明らかに異常で、類例がありません。その点が過去のどの犯罪とも重なっていないと感じられるのです。

 今回起きたのは特殊すぎる事件で、今後、模倣犯が出るかどうかもわからない状況です。凶器の銃を自分で造るなど、誰にでもまねできることではありません。だから「ただちに模倣犯が出る」とか「テロが起こる」とは言えません。

 とはいえ、事件が起きてしまった以上、また起こる可能性を考えないといけません。選挙演説の仕方などは、見直していかざるをえないのではないでしょうか。銃撃を防ぐために、アメリカでよく見るような、演説する人の後ろに支援者を並べる、というかたちになるのかもしれません。

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