「文尊師は誠実な男」 岸信介が統一教会トップを称賛した“異様”な機密文書

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〈文尊師は、誠実な男〉

 手紙が後半に進むと、岸の懇願の度は増す。

〈文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております〉

 そして、こう称揚する。

〈彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります。私は適切な措置が取られるよう、貴殿に良き決断を行っていただけますよう、謹んでお願いいたします〉

 この時点で日本では、既に教会による若者の強引な勧誘などが社会問題化していたが、その教団の首領を「誠実で貴重」と評価しているというわけだ。

 ちなみに、書簡は、岸の友人で、ラジオ日本のオーナーであった遠山景久に託されている。通訳として同行したのは、日系アメリカ人・キャピー原田。日米球界の橋渡し役として知られる人物だ。

自宅の隣が統一教会の施設

 徳本氏によれば、

「この手紙を受け、アメリカ政府は対応を協議します。元総理で、その当時もなお自民党の実力者であった岸氏の依頼だけにむげにはできなかったのでしょう。返事も書いたようですが、それは今も機密解除されていません。国家安全保障上の理由とのことでした」

 結局、釈放は難しいと判断され、文鮮明が出所できたのは翌85年の夏だった。

 岸と統一教会との関係がいかに深かったかをまざまざと物語る資料である。

「指摘の通り、岸氏と統一教会の縁には長く、深いものがありました」

 と解説するのは、「宗教問題」編集長で、ジャーナリストの小川寛大氏である。

「岸氏の自宅は渋谷の南平台にありましたが、その隣に統一教会の施設があった。で、教会と関係の深かった右翼のドン・笹川良一氏に、彼らについて教えてもらっています。それから関係は深まり、韓国の教会本部も複数回訪れて、講演や文鮮明との会談を果たしている。国内で教会系の団体が集会を開いた際には、名誉会長も務めていました」

 岸が教会と接近するのには狙いがあった。

 小川氏が続ける。

「統一教会は1968年、『国際勝共連合』を設立し、反共産主義運動を展開するようになります。当時は冷戦の真っ只中で、日本でも社会党や共産党の勢力は大きかった。岸氏は左派勢力を増大させないためにも、協力できるものは何でも取り込んでいた。それゆえに、豊富な金や信者を持つ教会との関係を構築していったのでしょう」

 その蜜月ぶりを象徴する事例が、先の釈放嘆願書の送付だったのであろう。

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