佐々木朗希、菅野智之、山川穂高 あと一歩で「甲子園出場」の夢を絶たれた3選手の敗れ方

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令和の“怪物”がスタメン落ち

 夏の甲子園大会の地区予選も終盤に入り、全国各地で代表校決定のニュースが相次いでいる。その一方で、甲子園を目前にしながら、地区大会の決勝で涙をのんだ球児たちも多い。惜しくもあと一歩で甲子園出場の夢を絶たれたプロ野球選手3人を紹介する。【久保田龍雄/ライター】

 岩手大会決勝まで勝ち進みながら、甲子園出場をかけた一戦に出場することなく終わったのが、大船渡・佐々木朗希(現・ロッテ)である。

“高校最速163キロ右腕”と注目された佐々木は、3回戦の一戸戦で6回参考ながらノーヒットノーランを達成。4回戦の盛岡四戦でも160キロをマークし、延長12回21奪三振を記録し、自らサヨナラ弾を放つなど、“令和の怪物”の名をほしいままにした。

 準決勝の一関工戦も2安打15奪三振で、5対0の完勝。翌日の花巻東との決勝戦を前に、佐々木は「勝ちにつながる投球をしたい」と闘志を新たにした。

 ところが翌日、スコアボードに佐々木の名前はなかった。チームとしても35年ぶりの甲子園がかかった大一番にもかかわらず、エース・4番がスタメン落ちというまさかの事態に誰もが驚愕した。

「『投げろ』とは言えなかった」

 実は、この日の朝練習後、国保陽平監督が佐々木に「先発はない」と言い渡していた。「朗希の疲労は想定以上だった。肩を壊す可能性が高く、『投げろ』とは言えなかった。『投げろ』と言えば、投げられたと思うが、その判断はできなかった」という理由からだった。

 代役の先発は、佐々木を温存した準々決勝の久慈戦に投げた2投手でもなく、大会初登板の右横手投げ・柴田貴宏だった。柴田は変化球を低めに集める丁寧な投球で甲子園の常連校を5回まで3安打に抑えたが、6回につかまり、計9失点で降板した。

 佐々木は最後までベンチの中で戦況を見つめ、チームは2対12と大敗。「みんなで甲子園に行く」夢も虚しく消えた。

 佐々木を登板回避させた国保監督には、地元ファンから「甲子園さ行く気ねえのか!」と非難の声が上がり、全国のファンや識者たちも、その決断の是非をめぐり、激論を交わしたのは周知のとおりだ。

 佐々木自身も「投げたい気持ちはあった」と本心を隠さなかったが、選手としての将来を一番に考えてくれた恩師の配慮を「すごくありがたいこと」と受け止め、「その分、将来活躍しなきゃと思います」と誓った。
 
 結果的にこのとき佐々木に無理をさせなかったことが、今季の完全試合達成をはじめとするプロでの大飛躍につながったと言えるだろう。決勝戦で敗れたあと、「大船渡を選んで良かった」と口にした佐々木。3年後の今も、同じ気持ちを抱きつづけているはずだ。

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