暴力行為で退場も記録は途切れなかった外国人選手は? 「連続試合安打記録」を巡る人間ドラマ

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王貞治から「おめでとう」

 阪神・近本光司が7月6日の広島戦で、2011年のマット・マートンと並ぶ球団記録(NPB歴代5位タイ)の30試合連続安打を達成した。残念ながら記録は翌7日でストップしたが、近本の評価を一気に高めることになった。これまで歴代1位は広島時代の高橋慶彦の「33」、2位は阪急・長池徳二の「32」、3位は阪急・野口二郎と西武時代の秋山翔吾の「31」だが、彼らはどのようにして記録を達成し、どのような形で記録が途切れたのかを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

 歴代1位の高橋は、1979年6月6日の中日戦の第3打席で、高橋三千丈から中前安打を放って以来、31試合連続安打を記録し、7月29日の大洋戦の1打席目に野村収から右越え二塁打を放った時点で、歴代トップの長池と肩を並べた。

 この日4打数3安打と大当たりの高橋は、新記録がかかった同31日の巨人戦でも好調を持続する。先頭打者として打席に入った1回、1ボールから新浦寿夫の2球目を左前に弾き返し、あっさり記録を更新した。

 一塁ベース上で王貞治から「おめでとう」と記念のボールを手渡された高橋は「無我夢中で打ったから、どんな球か覚えていません。まだ実感なんて湧きません。33試合を全部いい投手に当たり、苦しい連続でした」と記録に挑戦しつづけた1ヵ月余りを振り返った。この日はくしくも母校・城西高が東東京大会を制して、高橋がエース・4番で出場して以来5年ぶりの甲子園出場を決めたとあって、喜びも二重だった。

「どうにかして回そうや」

 だが、好事魔多し。2回の守備で高橋は、山本功児と交錯した際に左足をスパイクされ、途中交代するアクシデントに見舞われる。

 左足打撲で翌8月1日から5試合を欠場。休んでも記録は継続したものの、8日ぶりに復帰した8月8日の阪神戦では、実戦から離れたブランクも影響してか、江本孟紀に2三振を含む4打数無安打に抑えられ、記録は「33」でストップした。

「精一杯やったけど、江本さんが上でした」(高橋)。不運なケガさえなければ、記録はもっと伸びたかもしれないと思われる反面、ケガをする前の1回の第1打席で新記録を達成できたのは、ラッキーだったとも解釈でき、記録が極めて微妙な要素の上に成り立っていることを痛感させられる。

 一方、高橋に抜かれるまで8年間歴代トップだった長池は、71年7月6日の西鉄戦で、2回の1打席目に左越えソロを放ち、チームの大先輩・野口の記録「31」を25年ぶりに塗り替えると、勢いに乗って3打席連続本塁打と4番打者らしい豪快さで新記録に花を添えた。

「明日にも切れるかもしれんが、丁寧にいって、1試合でも多く伸ばしていきたい」と気持ちを新たにした長池だったが、翌7日の西鉄戦では、6回を8失点と乱調の河原明に3打数無安打1四球と抑えられ、あとは8回裏の攻撃を残すのみとなった。

 3人出塁しなければ長池まで打順が回らないという状況下で、「どうにかして(長池に)回そうや」と、1死から投手の米田哲也が9点目のダメ押しソロを放ち、1番・福本豊も左前安打で続く。

 だが、直後に福本がまさかのけん制死。山口富士雄も捕飛に倒れ、万事休す。それでも長池は「みんながどないかして回したろと頑張ってくれた気持ちがうれしい。そうしたバックアップがこれまで(32試合)来れた大きな要因だと思います」とチームメイトに感謝していた。

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