審判に4回蹴りを入れたロッテ監督……ファンの記憶に残る“熱すぎる退場劇”

スポーツ 野球

  • ブックマーク

Advertisement

“ボーク騒動”

 選手時代に2回、監督時代に6回退場を記録しているのが、ロッテ・金田正一監督である。“ボーク騒動”として今も語り継がれる退場劇が演じられたのが、90年6月23日の西武戦だった。

 6対5とリードのロッテは、7回2死二、三塁のピンチで、園川一美が田辺徳雄に対し、カウント1-1から3球目を投げようとした直後、三塁走者のオレステス・デストラーデが本盗の動きを見せた。慌てふためいた園川は、セットポジションで静止しないまま、投球してしまう。

 高木敏昭球審がボークを宣告し、6対6の同点になると、「何であれがボークや!」と金田監督が血相を変えてベンチを飛び出し、高木球審にパンチと連続キックをお見舞いした。

「いきなり蹴りを4発食らった。説明を聞く前に。これじゃ、もうスポーツじゃない」(高木球審)

 だが、金田監督は退場を宣告されたにもかかわらず、「ちょっとこっちへ来い!」と審判団を呼集すると、園川からボールとグラブを奪い取って自らマウンドへ。「よく見ろ、ピッチャーはいつもこうやって投げるんや。ボークになんかならへんで」と自ら実演して見せた。しかし、審判団に押しとどめられると、グラブを投げつけ、全選手をベンチに引き揚げさせた。

 間もなく連盟への提訴を条件に試合再開に応じたものの、逆転負けを喫した試合後も「確かにワシがやったことが悪いのは100も承知だ。しかし、ぶん殴ってでもダメなことは正さないと、パ・リーグがダメになってしまう」と不満をぶちまけていた。

 この“暴力肯定”とも取れる発言も問題になり、金田監督には「出場停止30日間、制裁金100万円」という重い処分が下っている。

「退場させんことには辻褄が合わんかったんやろう」

 史上最年長の70歳で退場処分を受けたのが、オリックスバファローズ時代の仰木彬監督である。

 2005年6月4日の広島戦、8回に代打・浅井樹のタイムリーで2点差に詰め寄られ、なおも2死一、二塁のピンチで、オリックス・神部年男投手コーチがマウンドの加藤大輔のもとへと向かい、続いて仰木監督も姿を現した。

 仰木監督は、加藤がタイムリーを打たれる直前に投げ、ボールと判定された際どいコースの球を土山剛弘球審に「ストライクやないか?」と確認しに来たのだが、「外れてます」という答えが返ってきたので、「そうか」とベンチに引き揚げようとした。

 ところが、その背後から「ピッチャー、菊地原(毅)」とコールする声が聞こえてきたので、ビックリ仰天。振り向きざま「交代は告げていない」と抗議した。

 だが、土山球審は「ストライク、ボールのことを聞かれる前に、“ピッチャー・菊地原”と言った」と言い張り、「言った」「言わない」の水掛け論で、試合は44分も中断した。

 この結果、仰木監督は遅延行為で退場を宣告され、1994年のダイエー・根本陸夫監督の67歳4ヵ月を更新する史上最年長、70歳1ヵ月での退場となった。

 責任審判の上本孝一二塁塁審は「不手際があったことは認めます。処分があれば、甘んじて受けます」と長時間にわたる茶番劇を反省し、仰木監督も「退場させんことには辻褄が合わんかったんやろう。最初から最後まで漫画みたいなもんや」と呆れ顔だった。

 この一件は、「コース低いかな?」と仰木監督が尋ねたのを、「投手・菊地原」と聞き間違えたのが真相ではないかと推測されている。

 ちなみに、仰木監督は、同年7月16日のロッテ戦でも本塁クロスプレーの判定をめぐる暴言で退場となり、自らの最年長記録を2ヵ月更新している。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。