「秀岳館高校」サッカー部事件、背後にある全く語られない教育現場の現実

スポーツ

  • ブックマーク

Advertisement

 秀岳館高校サッカー部の暴力事件は、コーチの暴力問題に端を発し、監督の不可解な対応や弁明をめぐって波紋を呼んでいる。 【小林信也/作家・スポーツライター】

野球を見る目は必要ない

 部員たちが自発的に撮影したとされていた「謝罪動画」が、実は監督の指導の下で撮影・編集されていた。当初は「関与していない」と明言しながら指摘を受けて後に関与を認めるなど、二転三転する監督の無責任な姿勢や言い訳が世間の憤りを煽っている。一体、誰のための問題解決なのか。監督の弁明が右往左往する一方で、監督が「自分自身の立場を守ることに懸命だ」という姿勢だけは一貫して浮かび上がる。生徒を矢面に立てて責任逃れを図ったとしか思えない監督の対応は残念ながら弁護のしようがない。

 だが、なぜこのような事件が起こるのか? 校長補佐という要職にまである教員がどうして自己保身で頭がいっぱいになり、教育者なら本来最優先するはずの生徒への配慮を欠く背景に何があるのか? 私は長年、主に高校野球を中心に高校教育の現場を取材し、部活顧問(監督、部長、コーチら)と親しく交流してきた立場から、あまり語られていない教育現場の実情をふたつの観点から指摘したい。

 ひとつは、「多くの選手を集める部活動が、少子化が進む中で私学経営の重要な基盤になっている」という現実だ。その流れができてもう20年、30年が経っている。私は、ある有名私学の野球部長から、

「野球部とサッカー部と吹奏楽部、それぞれ100人集めるのが私の仕事です。三つの部活で300人の生徒が確保できれば、学校経営の基盤になります」

 と聞いた経験がある。彼は他の私立高校から転職した教員で、野球やサッカーの経験はない。だが、前任校で野球部長だった経験を買われ、その私学に職を得た。

「野球を見る目なんて必要ありません。私が信頼する有名監督が目をつけた中学生を誘いに行く。うちに来てくれればラッキーです」

力の差

 節操がないと思ったが、それが彼の使命であり、やり方だった。そして、サッカー、吹奏楽も合わせ、一定の部員を確保することで校内での地位を確立していた。さらに、

「何人かは特待生で、授業料を免除してもいいのです。生徒数が確保できれば、私学助成金が入りますから収入は見込めます」

 という説明を聞いて、驚いた。

 事件の報道を見聞する視聴者、読者の大半は、「強いことが大事」「全国大会に出場し、優勝するのが目的」と思っているだろう。もちろん、現場の目標(掛け声)はそこにあるが、学校の目的(基準)はそこではない。常に「優勝」や「全国大会出場」の幻想が抱け、生徒が集まる状態を維持できれば及第点なのだ。秀岳館のサッカー部は、「名門」とか「強豪」と紹介されているが、実際には疑問符がつく。熊本県内では強豪の一角だが、「名門」か? と言えば、サッカー関係者の多くは首を傾げるのではないだろうか。この辺は、報道する側が視聴者の気を引くためにメディアが“盛っている”感が否めない。過去10年の結果を見ても、全国大会出場は1度しかない。昨年12月は熊本県大会の決勝に進出しているが、県立大津高校に7対0で敗れている。それほど大きな力の差があったと理解していいだろう。

 熊本県内でサッカーの名門といえば、真っ先に名が上がるのは、県立大津高校だ。総監督がテレビの人気番組「世界一受けたい授業」に出演し、選手主体の部活動に敬意が集まっている。県立校でありながら、100人を超える部員がいる。過去には県大会8連覇の実績があり、昨年度も全国大会で準優勝を飾っている。2年に1度はこの大津高が全国大会に出場している。昨年の県大会ベスト4の高校の監督のうち、3校は大津高のOB。つまり、人材も育て、県内のサッカーの方向性をリードしている存在だ。

次ページ:体育教員の必要“圧”

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。