全日本柔道選手権 大野将平と高藤直寿、こんなに違う五輪金メダリスト“初戦敗退”の戦い方

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 先月29日、「昭和の日」に行われた全日本柔道選手権は、斉藤立(20=東京・国士舘大学)が名選手だった父・仁さん(1961~2015)との史上初の「親子二代日本一」を達成し、久しぶりに観客の入った日本武道館は大いに沸いた。大会に駆け付けた筆者が注目したのが、体重無差別の全日本選手権で大男たちに挑んだ、五輪チャンピオン・大野将平(30=推薦九州・旭化成)と高藤直寿(28=推薦東京・パーク24)だ。残念ながら2人とも初戦で敗れたが、その考え方やアプローチは全く異なり、興味深かった。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

真っ向勝負の大野

 まず、男子73キロ級で五輪2大会(リオ・東京)金メダリストの大野将平。初戦の相手は、大野より2階級上の90キロ級・前田宗哉(26=関東・自衛隊体育学校)。大野は小柄な選手が大柄な選手と戦う時によくやる半身で動き回って相手の攻撃をかわしながら機を窺うことをせず、正面からしっかり両手で組み合い、得意の大外刈りを中心に真っ向勝負した。しかし、2分43秒。相手に大外刈りで有効を奪われた。大野はさらに積極的に技を出して反撃したが勝てなかった。観客からは大きな拍手が送られた。

 試合後のリモート会見で、大野は「相手が大外刈りの選手なので楽しみにしていた。リーチの差などで投げ切れなかった」と話した。大外刈りは背負い投げなどと違い、かけた時に相手も同じような格好になるため、力負けすると返されるリスクが最も高い技だ。

 さらに「決して(自分は)組み手が下手とか、小細工できないわけでないけど、楽しみを求めてしまった」と真っ向勝負した理由を語った。そして「こだわりを捨てなかったが、限界を感じてしまった。『柔よく剛を制す(柔軟なものが強いものを負かすこと)』は幻想にすぎないなと思った」と苦笑いした。

「自分のやりたかったことは、軽量級、重量級、関係なく、真っ向勝負。非現実的な勝負を挑みたかったから(今大会に)出場した。やりたいことはできたんじゃないかと思う」とも前向きに振り返った。

 大野のあの凄みのある試合中の目つきが、今大会、まだまだ優しかったことが、「楽しみを求めてしまった」ことを裏付けていたように思う。五輪3連覇の期待がかかる大野の久々の登場だったが、インタビューの中で「まだ『パリまで戦います』とは言えないけど」とも語った。

「悔しい」を連発する高藤

 続いて男子最軽量級、東京五輪60キロ級金メダリストの高藤直寿は、90キロ級の田中大勝(25=東海・アドヴィックス)と対戦した。開始直後は素早い組手や足の動きで相手に密着させず、的を絞らせなかった。しかし、53秒、田中に捕まえられると体を高々と抱え上げられ、裏投げで後方に飛ばされて技ありを奪われる。そのまま寝技に持ち込まれ、腕ひしぎ十字固めに「参った」をして敗れた。

 高藤は2018年の全日本選手権にも出場したが初戦で敗れており、2度目の挑戦での初勝利とはならなかった。畳に叩きつけられた際、頭を強打した高藤は「背中を付かずにいたが、脳しんとう気味。背中を付いていたら死んでいたかも」と話した。

 格闘技では全く体格の違う相手に敗れても、「五輪のメダリストがふがいない」などと言われることはない。それでも高藤は、「負けて悔しい」「柔道家として悔しい」「まだまだ出し切れなかった」「もっと動いて動いて、足技も見せたかった。組み手で1回妥協して負けに繋がった」「勝ちにこだわって戦うことが自分だが、悔しさが残っている」「全日本の畳は子供の頃から憧れだった。ただ勝ちたかった」などと話し、「悔しい」という言葉を連発した。それでも「組手の細かい部分、軽量級はこう戦うんだぞ、というのは見せられた」と笑顔も見せた。

 戦い方について「大野さんは真っ向勝負で沸かせたけど、僕は真っ向勝負はしない」とも話した。高藤は子供の頃、全日本選手権での井上康生(43=シドニー五輪100キロ級金メダル、前・柔道男子代表監督)と鈴木桂治(41=アテネ五輪100キロ超級金メダル、現・柔道男子代表監督)の熱戦を見て柔道に魅せられたという。それだけにこの大会への思いは大きく、淡々と試合を振り返った大野とは対照的だった。

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