ロシアとの国境線がヨーロッパで一番長い国、フィンランドの兵役義務の実態とは

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 ロシアによるウクライナ侵攻は、ロシアの東の隣国である日本にとっても他人ごとではない。だが、より危機感を募らせるのが、地理的にも歴史的にも近い北欧諸国だ。中でも実際に地続きで、ヨーロッパ側の国としては、一番長いロシアとの国境線を擁するのがフィンランド。36歳のサンナ・マリン首相率いるフィンランド議会は、NATO加盟の審議を本格的にスタートさせた。常にロシアの脅威にさらされてきた「森と湖の国」では、今なお成人男子に兵役の義務を課している。

 人口550万、フィンランドの兵役の実態をご紹介する。

※本稿は新潮新書『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(岩竹美加子著)を編集部で再構成したものです。

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18~60歳までの兵役義務

 2013年の5月末に高校を卒業した息子は、7月初めに最寄り駅から兵役に向かった。同じ日に入隊する高校の友達2人と共に。よく晴れて湿度の低い、軽やかな北欧の夏の日だった。3人共長身でTシャツに短パン、サングラス、飲みかけの清涼飲料水の缶を手にしていた。髪を短くカットしている以外は、普段と変わらなかった。

 フィンランドの憲法第127条は、「すべてのフィンランド市民は、法律が制定するように祖国防衛に参加、またはそれを支援する義務を負う」としている。

 また兵役義務法第2条は「すべての男性フィンランド市民は(略)18歳になる年の初めから、60歳になる年の終わりまで、兵役義務を負う」としている。

 60歳までの兵役義務というのは、予備軍人としての義務である。それは、呼ばれた時、軍事訓練に参加することと、戦争が起きた場合、軍隊で任務につくことである。兵役に行かず、シビルサービス(兵役の代替。兵役義務拒否の一種)を選んだ場合、この義務はない。

 兵役義務は、市民権の有無によるため、移民や二重国籍者、外国出身者も含まれる。開始の日は1年に2度、1月と7月で、どちらかを選ぶ。部署については、希望を出し、それを考慮に入れて決められる。期間は、部署や任務の内容によって165日(5・5ヶ月)、225日(7・5ヶ月)、347日(11・5ヶ月)がある。これは土日も含めた日数である。

 フィンランドでは高校卒業後すぐ大学進学、大学卒業後すぐ就職というシステムはない。いつ兵役に行くかについては柔軟性があるが、最近は、高校卒業後すぐが望ましいとされ、29歳までに行くことが奨励されている。高校卒業後の進学先が決まっている場合、入学時期はのばすことができる。また、すでに働いている場合、雇用者は兵役を理由に退職させることはできない。兵役後は仕事に戻ることができる。

ソ連崩壊で変わった兵役状況

 夫は反戦世代で、夫もその兄も兵役ではなく、シビルサービスを選んだ。

 しかし、1991年のソ連崩壊によって、状況が大きく変わった。90年代生まれの息子の世代は、戦争や兵役を肯定的に語る2000年代の風潮の中で育った。祖国を護って戦うのは「男らしい」が、シビルサービスには、医療施設での介護の仕事などのイメージがあって、「男らしくない」のだ。

 ちなみに女性の任意兵役は1995年に始まって、すでに27年目になる。2017年は、約1500人が志願したという。男女平等の原則に基づいて、配属部署や訓練の内容に男女差は設けられていないが、軍隊が調達しない個人的物品調達のため、日当0・5ユーロが上乗せされる。

軍隊での生活

 息子の軍隊生活について聞いた話をまとめてみよう。

 高校卒業前に、軍隊への召集状が自宅に郵送された。当時すでにICT化の進んでいたフィンランドでは珍しい方法だった。それを持って市役所に行き、身体検査を受けて登録し、希望部署を伝えた。陸海空軍の他、特殊部隊としてパイロット、潜水、パラシュート、インターネット上の電子戦争などがあるが、それらを希望する場合は、別途応募になる。普通は陸軍に行くことが多い。

 息子が希望したのは、陸軍のミリタリーポリスである。駐屯地は全国各地にあるが、自宅から近いところに行くのが普通で、配属になったのは家から車で4時間位のところである。息子は7月から行ったが、友達は半年後、1年後、未定等様々だった。

 配属になった駐屯地には、全体で2000~3000人、息子の部署では約200人の新人兵がいた。入隊式のようなものはなく、部署ごとに集まって上官の簡単な話を聞いた後、軍服やシーツなどの必需品が入った大きな重い袋を渡され、部屋まで運んだ。部屋は8人の相部屋で、シングルベッドとロッカーが並ぶだけの簡素なつくりである。同室になったのは18、19、22歳などの青年だった。入隊後、すぐにやめた青年が1人いたため、7人の相部屋になった。中途で辞める申し出があった場合、上官が辞めないよう説得することは禁じられている。

 日課は朝5時半起床、5時45分に部屋を出て、5時55分までに食堂に行き朝食。食事時間は30分。休憩と軽食を挟んで3時間と3時間半の訓練。午後1時に昼食。午後は3時間訓練。夕食後、6時から自由時間、7時半に夜食、9時半に部屋で点呼、10時就寝という毎日だった。

 最初のひと月半は、部署に関係なく合同訓練があった。様々なトレーニング、体操、自転車、柔道のような護身術である。プールは改装中で、水泳はなかった。冬はスキーの練習があった。森で孤立した時のサバイバル訓練、テントを組み立てて、森でのキャンプ、大型テントに宿泊しての訓練もあったという。

 ミリタリーポリスにはパトロール、点検、チェックポイントを作り、通行人や車をチェックする仕事や、警備、警護、司令センター防衛などの訓練や演習があった。射撃訓練もあるが、2001年に拳銃での自殺者が出て以来、その所持については非常に厳格になった。町中で、敵が家の中にいると想定して、監視する、踏み込む、周囲をまもるなどの訓練も行ったという。安全ベストを使用し、実弾は入れないが、拳銃を使用しての訓練だった。

 入隊する時以外は、髪を短くする義務はなかった。ヘアスタイルにはいくつかのモデルがあり、その中から選ぶようになっていた。軍服とシャツ、靴、冬のコート他、必需品は軍から支給される。すべて中古品で、相当古いものもあった。保全は軍隊がするので、自分で洗濯する必要はない。除隊の時、すべて返却した。

 軍隊では名字で呼ばれる。日当は5・1~11・9ユーロ(663~1547円)、パラシュートや潜水などの特殊部隊には追加手当が出た(金額は2017年現在)。他に条件に該当すれば兵士手当も受けられる。基本的生活補助、住居手当、子ども養育費補助、学習ローンの利子等である。家族や友達との連絡には、携帯電話は使用禁止で、外部との連絡用には軍隊のネットワークシステムを使った。

 普通は週末が休みで、金曜の午後3時頃から日曜夜まで帰宅する。息子の部署では、隔週で週末が休みだった。ただし、それほど厳格ではなく、木曜日に帰宅になることもあった。帰宅は、電車の往復切符をもらう場合と、大型バスが自宅の最寄り駅まで送迎する場合があった。乗り遅れた場合は、自力で戻らねばならず、息子は1度遅刻して、家の車で戻ったことがあった。自分の車で通っている人もいた。

 嫌がらせのようなことも、多少あったという。たとえば、起床後、ベッドメークした際に、カバーに少しシワのあるベッドが1つでもあると、相部屋のメンバー全員がやり直しをさせられた。また掃除の後、窓辺などにほこりが少しでもあると、部屋中の掃除がやり直しになった。すべて連帯責任である。すぐ上の人が、こうした嫌がらせめいたことをすることも多いが、時々もう少し上の人が、気まぐれで嫌がらせすることもあったという。

 除隊の日は部署ごとに集まって上官の話を聞いて、証明書をもらって解散になり、バスで帰宅した。息子は約1年の兵役を終了した。軍隊は日本の学校のような感じで、小学生の一時期、日本の小学校に通った息子はそれを知っていたので、大きな違和感はなかったという。

 兵役後は予備軍人になる。不定期にある招集に応じなければならない。息子は過去5年間に3回行った。それぞれ数日間で、ポジションによって異なる日当が出た(7787~8476円。2016年現在)。追加で税金免除での日当(663円。同)も出た。

北欧の兵役事情と国防の目的

 フィンランドの軍隊には、休日と休暇があり、長時間の拘束はない。金銭的補助もあって、福祉国家の軍隊の様相を持つ。しかし、軍隊内での嫌がらせはハラスメントであり、一般社会では禁じられていることが容認されている。連帯責任や細かい上下関係も一般社会とは異なる。

 義務か任意か、全員か少数精鋭か、男性のみか男女共か、国民の義務か民営化かなどは、兵役に関してしばしば議論される事柄である。ヨーロッパでは、兵役義務は縮小、廃止の方向にあった。北欧で男性に兵役義務を課しているのは、フィンランドだけになった時期もあったが、最近再び変化している。例えばスウェーデンは、2010年に兵役義務を廃止したが、2018年1月から兵役を再開した。ただし、義務ではなく選択された一部の人を対象にする。2018年は、1999年生まれの1万3000人の中から4000人が選ばれた。クリミア併合やバルト海エリアでの緊張の高まりに呼応したものだった。

 フィンランドの兵役のためのガイドブック(2017年)は、次のように国防の目的を説明している。

「フィンランドは、あなたを必要とする。あなたが、私たちの国と国家の独立、領土の不可侵を守るために最良の人だから。兵役義務に基づく軍事的国防が、この国に住むあなたの、また他の人たちの権利が侵害されないことと、フィンランドで生きていくことを脅かす者は誰もいないことを保証する。NATOに加盟していないフィンランドは、市民による防衛と軍事的能力を維持、発展させていく」

 NATO不加入の理由の一つは、隣国ロシアとの関係への配慮であった。

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 最近行われたフィンランドの世論調査では、NATO加盟賛成が59%、反対が17%だったという。兵役を再開させたスウェーデンもNATO加盟を検討しており、これまでロシアに一定の配慮をしていた両国がNATOに加わるとなれば、ロシアはどう出るのか。ロシアは長年にわたって、フィンランド国境近くにミサイルシステムを移動させる威嚇行為を行ってきた。かつてロシアに領土を割譲させられた「森と湖の国」は、兵役を含め、常に警戒を怠ってはいなかった。だが、そのかじ取りは難しい。マリン首相は、NATO加盟の結論を出すまでに数週間かかるとしている。

デイリー新潮編集部

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