作曲家・いずみたく、姪が明かした素顔と交遊 5回の結婚を経験、自ら大型帆船を設計

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 作り手の名前は知らなくとも、メロディーや題名なら耳にしたことがあるだろう。

 かたや、1960年代に発表された童謡「手のひらを太陽に」や、大ヒットした同名ミュージカルの劇中歌「見上げてごらん夜の星を」を手がけたいずみたく。

 こなた、いまも歌い継がれる歌謡曲「こんにちは赤ちゃん」をはじめ、85年に飛行機事故で死去した坂本九の持ち歌で、欧米では「スキヤキ」のタイトルで知られる「上を向いて歩こう」などを生み出した中村八大。

 数々のヒット曲を世に送り出した二人の作曲家の死から、今年はちょうど30年になる。

 その節目を記念したコンサート企画「ぼくたちの音を楽しむ~いずみたくと中村八大の歌物語~」が、今月23~24日に東京・銀座の博品館劇場で催された。プロデューサーはいずみの姪に当たる土屋友紀子氏だ。

「いずみと中村さんは生まれた年こそ1年違いますが、誕生日は同じ1月20日でともに92年に亡くなった。一緒に仕事をすることはなかったけれど、それぞれ永六輔さんや坂本九さんと関係が深いという共通点もありました。没後30年を機に、日本のスタンダードソングを作った二人を追悼したいと思ったんです」

参院選に出馬したことも

 いずみは62年の生涯で、およそ1万5千曲を残した。そこには約半世紀も放送が続くトーク番組「徹子の部屋」のテーマ曲も含まれる。が、その才は曲作りに留まらず、70年代後半には「劇団フォーリーズ」(現・「ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ」)を旗揚げし、日本におけるミュージカル文化の定着に貢献した。

 一方で共産党支持を公言し、86年に二院クラブから参院選に出馬。あえなく落選したものの、3年後に繰り上げ当選を果たして世間を驚かせたこともあった。

「亡き西村晃さんや財津一郎さん(88)をミュージカルに起用してみたり、秋川リサさん(69)や夏木マリさん(69)という新たな才能の発掘など、プロデュース力やマネジメント力もすごかった。同時に優秀なスタッフも育て上げ、いまでもあちこちの現場で“いずみさんにはお世話になりました”と声を掛けられるほどです」

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