野村克也、知られざる「空白の3年」に迫る 「あの頃が一番楽しかった」と語った理由とは

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 2001年、沙知代夫人の逮捕劇で阪神監督の座を追われ、球界復帰は絶望的とまでささやかれた野村克也氏。そんなノムさんを再起させたのは、社会人野球・シダックス監督時代の濃密かつ充実した3年間だった。当時の番記者、加藤弘士氏が明かす知られざる日々――。

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 名将・野村克也(敬称略・以下同)が他界してもう2年になる。沙知代夫人の後を追うように亡くなったのは2020年2月11日。球界に残した影響はいまだに大きい。今季のプロ野球監督を見れば、石井一久(楽天)、新庄剛志(日本ハム)、高津臣吾(ヤクルト)、矢野燿大(阪神)、辻発彦(西武)と直接の「教え子」だけで5人もいる。

 南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督として采配を振り……というのは指揮官としての野村の足跡を語る際、必ず触れられる経歴だ。ここで見落とされがちなのが、阪神の監督を辞任した後、社会人野球・シダックスの監督を務めた3年間のことだ。今でも書店の野球コーナーに行けば、数々の「野村本」が並んでいる。だが、その中にシダックスの3年間に触れたものはほとんどない。

濃密すぎる3年という時間

 プロ野球ファンにとっては「空白の3年間」かもしれない。しかし当時、番記者として間近で目撃してきた私は、一見、不遇の時期にも見えるこの3年間は、野村が新しい人と出会い、触れ合い、また数多くの人材を育成した濃密すぎる時間だったと断言できる。

 知られざるシダックス時代の真実を伝えたい、という思いから、当時の取材メモに加えて、関係者に新たにインタビューをして得た証言をもとに執筆したのが『砂まみれの名将 野村克也の1140日』である。

 多くの「野村本」を読んできた読者にも新鮮なエピソードが詰まっているのでは、と自負しているのだが、さらにいえばこの時期の野村は、ビジネスパーソンにとって不遇の時代における身の処し方のテキストとなるのではないか、とも思う。本稿では、その視点から、当時のことを振り返ってみたい(関係者のコメント、証言はすべて同書より)。

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