子どものマスク、ワクチン接種を推奨せず… 「コロナ終結宣言」スウェーデンに学ぶ教訓

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年齢でトリアージしているとの非難は誤解

 つまり、スウェーデンは年齢でコロナ患者のトリアージをしているとの非難は誤解である。判断基準はあくまでも予後なのである。また、一度ICUに入室して治療をしても、改善が見られない場合は白旗を揚げて退室させることもある。このように徹底した合理主義が受け入れられているのは、それによって平等で効率的な医療システムが支えられ、国民が安価で質の高い医療を受けられているからである。

 ちなみにスウェーデンでは、医師の診察は1回3千円程度の定額制で、検査は無料。年間の支払い限度額は、医療費が約1万5千円、処方薬も2万5千円ほどと定められている。よって、外来は年額最大4万円程度(プラス入院費は日額千円)で最先端の医療が受けられる。日本の支払い限度額よりずっと安い。

助けられる命に医療資源を集中させるべき

 また、その合理主義を受け入れ可能とする土壌として、スウェーデン人の死生観があるという論説が多いが、果たしてそうだろうか。どのような医療を受けるかを決めるのは、医療が必要な本人であり、家族の意向が本人の希望より優先されることは決してない。時には、家族に治療内容を秘密にしたいという希望を持つ人もおり、その場合は医療従事者が患者の希望に背くことは許されない。

 たしかに、「人間はいつか死ぬもの」で、死に近い人への積極的な医療は無駄であるという認識は、自然に社会の中に存在している。もとより、無理な延命をするほど医療資源は潤沢ではないし、本人も希望しない。ただ、これは死生観というより、医療システムには許容量があること、助けられる命に医療資源を集中させるべきことを国民が理解しているからだと思う。

「失敗への寛容さ」

「人間は誤りを犯す」という事実も広く受け入れられている。医療現場でも、医療従事者がさまざまなミスを簡潔に報告するシステムがデジタル化されている。報告することにより、人間関係などに影響が出ることがないため、多くの人が気軽に利用している。非常に重大な医療過誤の場合は、Lex Maria法により、IVO(医療福祉監査庁)へ報告する義務がある。医療現場で患者が不利益を受けた場合は、過失の有無とは無関係に患者が補償を受けるシステムがあるので、スウェーデンでは医療訴訟は非常に少ない。そのため、医療従事者はdefensive medicine(防衛医療)を行う必要がなく、過剰な検査や治療を削減することが容易である。

 こういった「失敗への寛容さ」は、社会の至る所に見られる。教育においても、基本的に何歳になっても高等教育を受け直すことができるし、それが可能となるようなサポートシステムがある。

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