近江・山田陽翔君は無理して投げさせるべきはなかった…“美談”で終わらせてはいけない問題点

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かなりの負担は間違いない

 ちなみに、山田は昨年夏の甲子園後に肘を痛めて、その後に行われた秋季大会は登板を回避している。今大会は、いわゆる“故障明け”だったが、1回戦から準決勝までの4試合で、549球を投じているのだ。この球数だけでもかなりの負担であることは間違いなく、左足の痛みをかばいながら投げたことで、さらに体に与えたダメージは大きくなったことだろう。

“満身創痍”の山田は、決勝で先発のマウンドに立ったが、結果は3回途中まで投げて4点を失ったところで降板した。準決勝に比べて、露骨に足を引きずる様子は見られなかったとはいえど、状態が万全ではないことは明白だった。

 好調時には、145キロを超えるストレートの最速は133キロにとどまった。本人の意思を尊重しての登板だったことは想像に難くないが、将来のことを考えれば、決勝で投げさせるべきではなかったことは明らかである。

 ただ、指揮官である多賀監督を“非難”すれば、済むという問題ではない。近江は2000年夏の甲子園で準優勝した時も3人の投手の継投で勝ち上がっており、これまでも複数の投手を起用しながら戦ってきたチームなのだ。

 また、冒頭で触れたように、今大会は補欠校から急遽の参加であり、山田以外の投手を準備する期間がなかったというチーム事情がある。準決勝の後に多賀監督が涙していたように、チームを背負う山田の気持ちに押されたという部分も多分にあったはずだ。

自らマウンドを降りる決断を下した意味

 そして、一つはっきりしたことは、現在のルールでは、今回のようなケースを防ぐことはできないということである。大会前に投手のメディカルチェックを行い、一昨年からは1週間500球までという球数制限が導入されたが、明らかに正常な状態ではない投手が制限ギリギリまで投げていても、ストップをかけるものは誰もいなかった。

 唯一の救いだったのは、決勝戦で山田が自ら降板を申し入れたこと。目の前のことに全力で取り組むことはもちろん大切だが、怪我を押してプレーし続けることで、失うものが大きいことは確かだろう。

 19年夏の岩手大会決勝では、前日の準決勝で129球を投げた佐々木朗希(大船渡→ロッテ)が故障を防ぐため、登板回避したことが話題となり、国保陽平監督には多数の非難の声も上がったが、現在の佐々木のプレーを見れば、当時の判断が正しかったと感じている人は多いのではないだろうか。

 佐々木や山田のように、プロを狙える選手だからというだけではなく、将来まだどうなるか分からない年代の選手が、明らかな異常がある中で、プレーをし続けることはやはり避けるべきである。

 少しタイミングは遅かったものの、山田が自らマウンドを降りる決断を下したことの意味は、非常に大きかったように感じられた。指導者はもちろんだが、広い視野を持って自分で判断できる選手が、今後増えていくことを切に願いたい。

西尾典文(にしお・のりふみ)
野球ライター。愛知県出身。1979年生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行う。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

デイリー新潮編集部

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