戦後の共産主義者釈放、歓迎会の主催は朝鮮人団体だった 「赤旗」の再刊資金の出どころは

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主催者は誰だったのか

 では、この飛行会館で開催された「自由戦士出獄歓迎人民大会」の主催者は誰だったのか。

 これについては見解が分かれている。

 日本側の資料である大原クロニカ『社会・労働運動大年表』解説編では、

「解放運動犠牲者救援会の主催で開催された」

 と、主張している。

 この「解放運動犠牲者救援会」は耳慣れない名称だが、実は日本人共産主義者で代々木の党本部を日本共産党に寄付した岩田英一の回想に出てくる。

「解放運動犠牲者救援会と自由法曹団の弁護士を中心に、在日朝鮮人のグループも加わる形で準備しました」(吉田健二「戦時抵抗と政治犯の釈放――岩田英一氏に聞く〈3・完〉」法政大学大原社会問題研究所)

 要は「主体は日本人共産主義者である」という見解である。

 同氏は当時の状況について、

「私は黒木重徳に求められ、実行委員の一人として集会設営の責任者をつとめた。(略)実行委員会は前日中に、府中刑務所、朝鮮奨学会の会館、梨木(作次郎)弁護士の事務所において会合をもち、式次第や、大雨で屋内集会になった場合の会場をどこにするかについて相談しました」

 と、解説する。

在日本朝鮮人連盟の正式見解

 一方、在日本大韓民国民団(民団)の団長となる権逸は『権逸回顧録』において、出獄歓迎式典は朝鮮人連盟準備委員会の単独主催であるとの見解を述べている。

「共産主義者たちは、名前すら聞いたことがない『自由法曹団』とか『自由労組』とか言う十余りの偽装団体を急造して、朝連準備委と共同で日本共産党員出獄歓迎会を開催したように偽装したが朝鮮人連盟準備委員会単独で開催した」

 朝鮮総連(北朝鮮)の母体となる在日本朝鮮人連盟の正式見解もみてみよう。1946年10月に大阪中之島公会堂で開催された在日本朝鮮人連盟の第3回全国大会において、後に朝鮮総連の議長を務めた韓徳銖が行った発表を、『朝鮮人強制連行の記録』の著者・朴慶植が「在日本朝鮮人連盟第三回全国大会総務部経過報告」として、まとめた文書がある。そこでは「出獄戦士歓迎人民大会」の出席者の大半が朝鮮人であり、朝連が組織した政治犯釈放運動であったと紹介した上で、

「ここで一つ記録すべきことは、十月十日日比谷飛行会館にて行われた『出獄戦士歓迎人民大会』四千の会衆の大部分が朝鮮人であり、あの憎悪の的だった天皇制打倒を高喊し、あの民主勢力提携を叫んだこと、実際においては政治犯ですら『○○罪』、『××罪』として別の罪名で投獄された数多くの先覚者たちがわが朝総の政釈運動によって出獄したことである」

 と、主張している。

 南北朝鮮の団体に関わる諸氏はいずれも、政治犯の釈放において、形式上、日本人共産党員の顔も立てるには立てるが、出獄式と歓迎式典は、朝鮮人連盟準備委員会が単独で準備し、主催した話という見解を示している。

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