実はスポ根の藤澤五月、作戦会議は激論… テレビには映らない「ロコ・ソラーレ」の真実

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 トラブルに見舞われながらも、日本は冬季五輪史上最多となる18個のメダルを獲得。有終の美を飾ったのは、カーリングにおける「ロコ・ソラーレ」の奮闘だった。はつらつとした笑顔で列島を沸かせた彼女たちだが、銀メダル獲得の裏には知られざる数々の物語があった。

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 日本カーリング協会副会長の松平斉之さんは、ロコ・ソラーレの成し遂げた快挙に目を細める。

「平昌五輪の銅メダルには驚かされましたが、北京五輪の銀メダルは獲るべくして獲ったメダル。現地入りする前に小野寺亮二コーチを激励したら、“今回は金を狙えるかも”と話していました。“ガスボンベ”から始めて、たった40年で世界の強豪と肩を並べることができた。本当に感無量ですよ」

 決勝でイギリスに敗れ、優勝こそ逃したものの、カーリング女子日本代表ロコ・ソラーレは、「そだね~」で脚光を浴びた4年前から格段の進化を遂げた。

 司令塔にしてスキップの名手・藤澤五月(30)。力強い“鬼スイープ”が持ち味のリード・吉田夕梨花(28)とセカンドの鈴木夕湖(30)。夕梨花の姉で、3度目の五輪出場を果たしたサードの吉田知那美(30)。さらに、チームのブレーンで、精神的支柱でもあるリザーブの石崎琴美(43)。

常呂町のカーリング黎明期

 五輪ファイナリストに登りつめた彼女たちの原点は、現在の北海道北見市常呂(ところ)町にある。チームの名称も「常呂っ子(ロコ)」と、イタリア語の「太陽(ソラーレ)」に由来している。

 北海道にカーリングがもたらされたのは1980年のこと。新たな冬場のレクリエーションとして道を挙げての普及活動が始まり、カナダから元世界チャンピオンを招いて各地で講習会が開かれたという。

 そのとき、カーリングに心酔し、自らの住む常呂町に持ち込んだのが故・小栗祐治さんだった。ちなみに、ロコ・ソラーレの鈴木と吉田姉妹も幼少期に小栗さんの指導を受けている。

 同町在住で、黎明期に立ち会った松平さんが続ける。

「当時はカーリング用品を扱っている店などありませんからね。プロパンガスのボンベを切断してコンクリートを詰めたり、墓石屋に頼んで手製のストーンを作っていた。ただ、それでは満足のいくプレーが望めないので、町にお願いしてカナダから用具一式を取り寄せてもらいました。当時の価格で200万円以上かかったと思います」

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