ウクライナ侵攻でロシア発「石油危機」の懸念 プーチンに残されたカードは1枚のみ

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 ロシアのプーチン大統領は2月24日、ウクライナ東部で特別軍事作戦を行うことを決めたと発表した。その目的はロシアが支援する親ロシア派支配地域の住民の保護であり、ウクライナの占領は計画に含まれないと主張した。これを受け、ロシア軍は同日、ウクライナの軍事施設へのミサイル攻撃などを開始した。

 懸念されていたロシアのウクライナ侵攻が現実のものになってしまった形だが、なぜロシアはこのような動きに出たのだろうか。

 プーチン大統領は21日、ウクライナ東部の親ロシア派支配地域の独立を承認し、「平和維持」を目的とするロシア軍を派遣する方針を決定していた。

 この決定はロシアがウクライナとの関係で重視していたミンスク合意の反故を意味することから、「ウクライナ危機の解決の鍵はミンスク合意の遵守にある」と考えていた筆者にとっては想定外の事態だった。

関係悪化の背景

 ロシアとウクライナの関係が悪化したそもそもの発端は、2014年にウクライナに親欧米政権が誕生したことにある。

 親ロシア系住民が多数を占めるウクライナのドネツク州とルガンスク州(ドンバス地域)で「新政権がロシア語話者(親ロシア系住民)を迫害する」との警戒から、分離独立の気運が高まり、ドンバス地域の一部に半ば独立状態が生まれたが、ロシアはクリミアのようにドンバス地域の一部を併合することはなかった。だがロシア軍が親ロシア派を支援したことでウクライナ政府軍との間で激しい戦闘状態になり、これを憂慮したドイツとフランスが仲介に乗り出し、2015年2月に「ミンスク合意」を成立させた。この合意はウクライナの安定化にとって最も重要な取り決めだったが、米国はこれに関与していなかった。

 ミンスク合意は単なる停戦協定ではなく、「親ロシア派支配地域に幅広い自治権を認める特別な地位を与える」という高度な政治的取り決めも含まれていたことから、ウクライナは当初から不満を抱き、その履行を渋っていた。

 2019年に就任したゼレンスキー大統領は、自国が不利な戦局の状況下で締結を余儀なくされたミンスク合意の修正を求めたが、ロシアはこれに応じなかったことから、昨年1月「ミンスク合意を履行しない」と宣言した。

 これに対し、ロシアは「ウクライナがミンスク合意を破棄して武力解決を試みようとしている」と警戒、昨年3月からウクライナ国境沿いに軍を増派し始めたが、その後もウクライナが態度を変えなかったことから、昨年末以降再び軍事的圧力をかけていた。

 ロシアの一連の動きは、欧州に対して「ウクライナがミンスク合意を履行するよう促してほしい」とのメッセージだった可能性が高いが、この動きに敏感に反応したのが本来の調停者であるドイツやフランスではなく、部外者である米国だった。

 バイデン政権の対ロ強硬派がこれを奇貨としてロシアの脅威を煽ったことから、焦点がミンスク合意からNATOの東方拡大にすり替わってしまった感が強い。

 ようやく事の重大さに気づいた欧州は2月に入り、ロシアとの交渉に積極的に乗り出した。フランスのマクロン大統領は7日にロシアを訪問、その直後にウクライナのゼレンスキー大統領と会談して「ミンスク合意に基づき憲法改正を実施する」ことを約束させた。

 ミンスク合意の履行に関する協議が11日に行われたが、ロシアとウクライナの溝は深く、進展は見られなかった。それどころかウクライナ東部では17日から戦闘が激化し、双方が「責任は相手側にある」と非難する泥仕合の様相を呈するようになっていた。

 マクロン大統領は5時間以上にわたって議論した際のプーチン大統領の印象について「物腰は2年前に比べて頑なになっていた。イデオロギーや国家安全保障にこだわる傾向がうかがえた」と同行の記者に語っていた(2月24日付CNN)ことは示唆的だ。

 プーチン大統領は22日、ミンスク合意はロシアが親ロシア派支配地域の独立を承認するはるか前にウクライナ側が放棄したと激しく非難した。プーチン大統領が精神的余裕を失い、被害者意識さえ抱いていたとしたら、「ミンスク合意ではウクライナの親ロシア系住民を保護することはできない」と焦り、軍事作戦を断行したことに合点がいく。

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