“プロ注目”150キロ左腕は「解体新書」杉田玄白の子孫 トヨタ自動車・長谷部銀次はどんな選手なのか

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腰の故障で手術、リハビリ

 その一方で、進学に向けて、長谷部はかなりの努力を重ねた。難関と言われるAO入試で慶応大学への合格を勝ち取ったのだ。

「慶応大学を目指そうと思ったのは、1学年先輩の中村健人さん(現広島)が慶応に進学すること、大学野球といえば、早慶戦というイメージが強かったからです。高校2年の冬に慶応大を目指すことに決めました。一般的には、野球部はスポーツ推薦のような印象があるかもしれませんが、全くそういう感じではなくて、受験勉強は相当しました」

 晴れて目標としていた慶応大進学を果たしたが、ここでも腰の故障に苦しむことになる。2年秋までにリーグ戦の登板はわずかに1試合。そして、このシーズンが終わった後に手術に踏み切る。腰の手術といえば、選手生命にもかかわる可能性もあるが、当時の心境は決して後ろ向きではなかった。

「ずっと腰が良くなったり悪くなったりを繰り返していたので、100%の状態に戻そうと思って、手術を決断しました。最初は日常生活も大変でしたが、リハビリの時に改めて様々なことを見直せたのは良かったと思います」

「どこが違うのか、常に考えた」

 また、慶応大学では、自主的に考えて練習や試合に取り組む姿勢を学んだそうだ。

「入学時の慶応大は、林卓史助監督(当時)の影響で、選手全員が本当によく考えて、練習や試合に取り組むチームでした。また、同期には木沢尚文(現ヤクルト)や関根智輝(現ENEOS)、佐藤宏樹(現ソフトバンク)といったピッチャーが多かった。例えば、150キロ以上投げられる木沢や佐藤はどこが違うのか、自分に足りない部分はどこなのか、そういう点を常に考える習慣がつきました。復帰した4年生の春のリーグ戦は結果を残せなかったですが、秋には社会人に進み、プロを目指すと切り替えることができました」

 トヨタ自動車に進んだ長谷部は、社会人1年目の昨年はリリーフとして日本選手権、都市対抗という大舞台のマウンドを経験した。ともに短いイニングながら無失点と好投を見せている。

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