始球式でまさかの死球負傷…オープン戦で起きたとんでもないアクシデント

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「こんなの冗談にもならん!」

 今年もプロ野球オープン戦のシーズンが到来した。若手はアピールの場、ベテランはコンディション調整と、ベストの状態で開幕を迎えるべく、最善を尽くす時期だ。しかしながら、そんな最終調整の場で思わぬけがに見舞われ、野球人生が変わってしまった選手もいる。【久保田龍雄/ライター】

 始球式で死球を受け負傷。新聞に“死球式”の見出しが躍る事件が起きたのが、1991年3月30日の近鉄vs阪神である。同年、ロッテから阪神に移籍してきた高橋慶彦は、試合前の始球式で、野球通のお笑い芸人・山田雅人が投じた内角高めストレートを右肘に受け、もんどり打って倒れた。

 ベンチからトレーナーが駆けつけたが、内出血しており、患部から血を抜く治療を行うほどだった。実は、高橋は2日前のオリックス戦でも右打席で左肘に死球を受けたばかり。1番打者の大野久をダイエーに放出し、「監督生命を賭けて」新打線の目玉として高橋を獲得した中村勝広監督も「こんなの冗談にもならん!」と怒りをあらわにした。

「引退を早めた」と山田を恨んだファン

 治療を終えた高橋はそのまま1回表の打席に立ち、3回の2打席目に左翼線二塁打を放って交代。死球の影響はさほどないように思われた。だが、「新天地で早く結果を残さなければ」と精神的に追い込まれていた高橋は、開幕から5試合で19打数2安打と不振が続き、チームも5連敗。

 さらに4月18日の広島戦で、自打球で右足に打撲傷を負ってからは、代打中心となり、6月16日に2軍落ち。そのまま悪循環を克服することができず、翌92年に35歳で現役を引退した。始球式の死球から野球人生が暗転……。広島時代から応援していたファンは「引退を早めた」と山田雅人を恨んだという。

 しかし、高橋自身は「今であれば『まだまだできる』と思われるかもしれませんが、当時の自分としては、肉体より精神的な疲労がピークに達していました。そうなると、もう立て直すことなどできるわけがありません。だから、この年限りの引退を決断したのです」(自著『赤き哲学』KKベストセラーズ)と説明している。始球式が引退の直接の原因ではなかったとはいえ、試合前のイベントも、一歩間違えば思わぬアクシデントにつながるという教訓を残した事件だった。

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