故・石原慎太郎氏が残した「鉄道分野」の意外な功績をたどる  東京駅の復原にも貢献

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「東京環状線」を却下、大江戸線に

 1999年に東京都知事に就任してからも、鉄道にまつわるエピソードがいくつかある。1991年に光ヶ丘駅-練馬駅間で開業した都営12号線は、1997年に新宿駅まで延伸。2000年には、国立競技場前駅まで延伸開業した。これに伴って都営12号線ではなく、きちんとした名称をつけることになった。

 公募によって、都営12号線には東京環状線という名称がつけられることになった。同時に、愛称は夢もぐらに決定した。しかし、石原都知事はそのネーミングに不満を抱き、「(都営12号線は)環状線ではない」との理由で東京環状線を却下する。都知事の意向を踏まえ、新たな名称は大江戸線に決められた。

 また、都知事就任直後の1999年には、JR東日本の松田昌士社長(当時)と会談。その席上で、石原都知事は東京駅を以前の姿に復原してほしいと要請している。ここから東京駅赤レンガ駅舎の復元ならぬ、復原計画が走り出す。

 実は運輸大臣在任時にも、松田社長は「東京駅を昔の姿へ戻せないか?」と石原大臣から打診されていた。都知事になってから再度の打診を受け、腹を決めたようだ。

 その後も、石原都知事はJR東日本の大塚陸毅社長(当時)と会談。この話し合いによって、正式に駅舎復原が発表されることになった。

 筆者は、都知事時代と再び国政復帰した頃に何回か石原氏を取材している。直に質問する機会もあったが、その受け答えで特に鉄道に造詣が深いとの印象は抱かなかった。

 しかし、こうして政治家・石原慎太郎の足跡を振り返ってみると、知識はなくても鉄道に強い関心があったことが窺える。

 石原ファミリーでは、気象予報士・タレントとして活躍する次男の良純氏が鉄道ファンとして有名だ。良純氏の素養は、父親によって磨かれたのかもしれない。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

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