雪印「国産牛偽装」告発から20年 西宮冷蔵社長のいま 「13億円の負債は少しずつ返しています」

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偽装列島告発の先駆け

 雪印乳業はこの前年の2001年、大阪を中心に大規模な食中毒事件を起こしていた。ブランド、雪印の信頼は地に落ち、本体の業績もみるみる悪化した。筆者がかつてよく取材していた、外﨑一馬、岩本裕司らの名選手を生んだ日本リーグの雪印アイスホッケー部(札幌市)も解散の憂き目を見た。

 雪印の偽装の後、 最大手の日本ハムによるBSE対策を悪用した牛肉偽装も発覚、「全農チキンフーズ」と「丸紅畜産」大手食肉会社「スターゼン」の偽装などが明らかになった。2004年には大阪の食肉卸会社「ハンナン」による50億円の詐取が判明、浅田満社長らが逮捕された。ひいては耐震偽装など、亡きジャーナリスト勝谷誠彦氏の言葉を借りれば「偽装国家ニッポン」の様相が暴露されてゆく。その先鞭が水谷氏の告発だった。

 水谷氏はお得意先の不正を暴いたのであり、厳密には「内部告発」ではないがその後、「正義の告発者」としてもてはやされた。だが、告発のしっぺ返しは大きかった。

 出荷ばかりになり、新たな入荷が減ってゆき、冷凍庫は空間が目立ち出す。「雪印で失った1割くらいすぐ取り返せる」と踏んでいたのは甘く、9割の荷を失った。

「他社も同じような偽装をしていて、あそこに預けたらチクられると恐れたのかもしれませんね」(水谷氏)

 さらには、国の機関が嫌がらせのようなことをしてくる。国交省に「詰め替え作業時に在庫証明書を改竄した」と難癖をつけられ営業停止処分も受けた。固定資産税も滞納し、施設は差し押さえられ、料金滞納で電気も止められ冷凍庫は死んだ。懐中電灯を頼りに鍋をつつくような生活で、水谷氏は金策に走る一方、梅田の陸橋で連日、「負けへんで」と書かれた幟を立てて筵の上で本を売るなどして糊口をしのいだ。本は支援してくれた出版社鹿砦社(西宮市)の社長が寄贈してくれた。

 「不正を許さず食の安全を守る」と揺るがない不撓不屈の男の生きざまは、2007年には柴田誠監督によるドキュメント映画「ハダカの城」にもなった。

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