「女の子に触ったら爆発しそうでした」 養老孟司先生が青春の悩みを語った発掘インタビュー

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 450万部を突破した『バカの壁』の著者、養老孟司さんの新著『ヒトの壁』は、こんな文章で始まる。

「人生を顧みて、時々思うことだが、私の人生は、はたして世間様のお役に立ったのだろうか。

 徹底的に疑わしい。

 医学を志したはずなのに、患者さんの苦痛を救い、命を救う努力は一切せず、解剖学という、もはや手の施しようもない、手遅れの患者さんしか診てこなかった。

 趣味は昆虫採集、たかが虫ケラをいくら丁寧に調べてみたところで、世間のお役に立つはずがない。

 閻魔(えんま)様の前に出て、なにか人様のためになることをしたか、と聞かれたら、なにもした覚えはありません、と正直に答えるしかない」

 ただ、養老さんの著作や言葉に救われた、という人もいるだろう。開設された公式YouTubeチャンネルにも多くのファンが訪れている。人生の悩み、社会への違和感について養老さんの意見を聞いてみたい、という人は少なからず存在する。かつては講演会などで直接質問する機会もあったのだが、近年はコロナ禍によってめっきり減ってしまった。

 そこで、今回ご紹介するのは今から17年ほど前のロング・インタビュー。自身が編集に携わったムック『養老先生と遊ぶ』に収録されたもので、さまざまな悩みを抱える人に向けてわかりやすい言葉で語りかけた内容となっている。自分自身の青春時代の悩みについても率直に語っており、いままさに「壁」に当たっている人には励みにもなるのではないだろうか。

 刊行から時間が経ち、現在は入手困難となっているムックからの発掘インタビューをお届けする(一部、原文に改行など修正を施しています)。

若いほど迷う

――以前口にされていた「若いうちは失敗をする」という言葉が非常に印象的だったんです。あれは、どういう意味だったんでしょうか?

 文字通りの意味ですよ。自分がそうだったから。

 若い人ほど迷うんですよ。迷うのは、選択肢がいっぱいあるからで、選べる可能性がたくさんある証拠なんです。歳をとればとるほど迷わなくなる。思考がワンパターンになっていくからです。

 経験が可能性をつぶすことだって、あるんですよ。

――失敗や悩みが先生にもあったんでしょうか。

 そりゃあ、そうですよ。こっちだって、若い頃はあったんだから。こんなジジイだからといっても、青春はちゃんとありましたよ。

――ジジイだなんて言ってませんよ。青春時代にはどんなことを悩んでいたのですか?

 とにかく対人関係が苦手だったんです。だから、小さい頃から漠然と「学者にでもなるしかないな」と思っていました。やることがいちいち素直にいかないんですよ。足がもつれるんです。自由に行動できる範囲が狭かった。自由にできたのは虫とりだけ。だって、あれは他人に迷惑がかからないでしょう。

――足がもつれるというのはどういうことですか?

 大学を卒業して、医者になるっていうときにインターンをやるんです。そのときに身近で医療事故が3回ありました。そのたびに手足がすくんで動けなくなった。こんなことで手足がすくんで、自分は特異体質なのかな、って思いましたよ。そのときにつくづく「医療は怖いものだ」と思いました。

 解剖学教室に入って以来、何度も何度も「そんなことをやって意味があるのか」とだれかれともなく問われ続けました。だけど、平気で医者になれるほうが変だ、そう思ってました。インターンのときに教わったお医者さんがこう言ったのをよく覚えています。

「自分は定年まであと3年。何事もないことを祈っているんだ」

 医学部にいれば、周りは医者になるヤツばかりだから、自分もなんとかなると思っている人が大半かもしれません。でも、「みんなやっているから大丈夫」なんていう感覚はぼくにはないんです。

 歌舞伎役者でもあるまいし、医者なんて先祖代々やるっていうもんでもないでしょう。他の人も同じはずなんだけど、気づいていないから平気で医者をやれるんじゃないかと思ってました。なんで相手の命を預かる医者を平気でやれるんだろうか、って。

 そうやってね、足がもつれる、あいさつもロクにできない青春時代でした。

 でも、人というのは、裸で生まれてきたでしょう? 結局はひとりなんですよ。私は常にそういう意識で、「個人」で生きてきました。それがぼくの「個人主義」。否応なしに個人にされたっていうこともあるんだけどね。

 だから、一番好きだったのは、便所掃除。ひとりでやれば終わるでしょう。その延長線上にあるのが解剖だったんです。以上でも以下でもないんです。

 だれも関係なく、昨日自分がやったまま終わっている。今まで解剖をしていた死体が話し掛けてきたっていうことも幸いありませんよ。

女の子を口説くなんてできなかった

――それはよかったですね。今までどれくらいの数を解剖したんですか?

 年間で平均すると40体くらいかな。30年以上やっているから、1200体っていうところじゃないかと思う。そして、そのひとつひとつ、同じだったことは決してないんです。それだけの数を見ればね、いろいろと考えますよ。

――その1200体を、ひとつひとつ解剖していったんですね。

 そう。解剖って医療事故と対極にあるじゃないですか。死体は勝手に動かないから安心でした。おまけにぼくは他人の行動を見てから同じようになにかやるっていうのがぎこちないんです。ぼくなんかがいっしょにやっていいのかしら、といつも思っていたから。

 団体行動をしていると、疎外感を感じました。そんな自分を持て余してもいた。高校生のときだったかな、全校生徒の前で英語の演説をしたことがありました。突然演台に上っていって、ワシントンの就任演説を真似したんです。内容はよく覚えていないんだけど。

――いきなりですか?

 そう。なんであんなことをやったんだろ。やっちゃったんですよ。とにかく、自分を持て余していました。

――その勢いで女の子とつきあうなんていうことはなかったんですか?

 なに言ってるんですか。時代が違いますよ。女の子なんて、触ったら爆発しそうでしたよ。「敬して遠ざける」という態度でした。ただ、女の子と普通に話すことはできたんです。でも、なにか引っかかった。向こうの反応よりもはるか手前でなにかが。口説くなんていうことはまったくできませんでしたよ。もっと遠い。なにを話すかっていったら、無難な話です。天気の話とか。

 ***

 当然といえば当然だが、養老さんも若いころはさまざまな「壁」に突き当たっていた。それをどのように克服していったのか。インタビューの続きは次回に。

デイリー新潮編集部