“怒りの代償”は高くついた? 八つ当たりで負傷した選手の「気になるその後」

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 全力プレーの野球にケガはつきもの。不慮のケガに泣いた選手には同情を禁じ得ないが、中には思うような結果が出なかった悔しさのあまり、八つ当たり的な行動に及んだ挙句、しなくてもいいケガをする羽目になった残念な例もある。【久保田龍雄/ライター】

泣く泣く残り24試合を欠場

 商売道具のバットに八つ当たりしたことが災いし、本塁打王を逃してしまったのが、1989年に阪神入りしたセシル・フィルダーである。同年のセ・リーグの本塁打王争いは、9月13日の時点で38本のフィルダーがトップ。ラリー・パリッシュ(ヤクルト)が3本差の35本で追っていた。

 事件が起きたのは、翌14日の巨人戦だった。3回の2打席目、水野雄仁に空振り三振に打ち取られたフィルダーは、直後、苛立ちをあらわにして、持っていたバットを地面に叩きつけた。

 ところが、勢いよく跳ね返ったバットのグリップエンドの部分が、フィルダーの右手を直撃したからたまらない。痛みをこらえて最後まで出場したフィルダーだったが、ノーアーチに終わり、パリッシュに2本差に迫られてしまう。

 さらに悪いことに、試合後、都内の病院でレントゲン検査を受けたところ、右第5中手骨骨折で全治1ヵ月の重傷と判明。タイトルがかかっているとあって、フィルダーは「少々のケガでもプレーする。骨折でもできる」と強行出場を訴えたが、「完全に骨がくっつく前にプレーしたら、今後野球ができなくなる恐れがある」とドクターストップがかかったため、泣く泣く残り24試合を欠場する羽目になった。

 この間にパリッシュは42本塁打と逆転し、タイトルを獲得した。だが、翌年メジャー復帰をはたしたフィルダーが90、91年と2年連続本塁打王を獲得したことを考えると、無理をしなかったのは正解だった。35歳まで現役を続けたフィルダーは、メジャー通算319本塁打を記録。これも“ケガの功名”と言うべきか?

長嶋監督から「右手は駄目だ、絶対に」

 救援失敗の直後、クーラーボックスに八つ当たりしたことが祟り、セーブのリーグ新記録をフイにしてしまったのが、西武時代の豊田清だ。

 2003年9月24日のロッテ戦、3対2とリードした西武は、9回から前年自身が記録したパ・リーグ歴代1位のシーズン38セーブ(当時)に並んでいる守護神・豊田がマウンドに上がった。先頭のリック・ショートを右飛、サブローを三振に打ち取り、たちまち2死。新記録まであと1人となった。

 そして、里崎智也もカウント2-2と追い込んだあと、空振り三振。ゲームセットと思われた直後、まさかのハプニングが起きる。ワンバウンドしたボールを捕手・細川亨が後逸し、振り逃げで一塁セーフになってしまったのだ。そして、このミスが流れを大きく変えてしまう。

 豊田は代打・初芝清に左翼線タイムリー二塁打を浴び、3対3の同点。この瞬間、39セーブ目は幻と消えた。小坂誠に四球を与えたあと、福浦和也を左邪飛に打ち取り、ようやくスリーアウトチェンジになったが、目前で快挙を逃した豊田は怒りを抑えることができない。

 ベンチに戻ると、クーラーボックスを利き手の右手で殴打して破壊。右手甲に3針縫う裂傷を負ってしまった。気持ちはわかるけど、利き手はまずい。

「(9月14日の日本ハム戦でも救援失敗)ここ最近、ホント駄目だな。(登録)抹消? たぶん」とうつろな目で答えた豊田は、残りシーズンを棒に振り、チームも2位に終わった。

 シーズン後にアテネ五輪予選を控えていた“長嶋ジャパン”の守護神候補にも挙げられていただけに、長嶋茂雄監督からも「豊田君、どんなことがあってもいけない。右手は駄目だ、絶対に」と諭されたという。

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